朝鮮日報コラム

4 7月

【朝鮮日報コラム】「メシくれ虫」と「カネくれ虫」、悪いのはどっち?

1 名前:すらいむ ★:2018/07/02(月) 16:56:00.03 ID:CAP_USER.net
【コラム】「メシくれ虫」と「カネくれ虫」、悪いのはどっち?

 「すみません。夫が昼食にビビン麺を食べたいと言っていて…」。スポーツ講座が終わると週に1回、受講生たちが集まってサンドイッチを食べる。だが、その韓国人女性は米国に移民して40年間、つらい仕事を一生懸命して退職したのに、女性の夫の「家メシ好き」は定年というものを知らなかった。彼女はカリフォルニアの太陽に背を向けてビビン麺を作るため自宅の台所に戻っていった。

 韓国人男性の蔑称を作ることにかけては天才的な一部の女性たちは、こういう男性のことを「メシくれ虫」と呼ぶ。女性だけではない。一部の男性たちは韓国人女性のことを「カネくれ虫」と名付けて対抗している。彼氏に「高級ブランドのバッグを買って」とねだる女性がその根拠だという。

 男性は「メシくれ虫」、女性は「カネくれ虫」…このようにののしり合う世の中は誰が作ったのだろうか。家で食事ができないと大騒ぎする男性のせいなのか、それとも自分の人生を夫に抵当に取られた女性のせいなのか。「高級ブランドのバッグ」で愛情表現をしてほしいという女性の欲が問題なのか、「そんな物は買えない」と言えずに24カ月払いにする男性の見えが問題なのか。

 残念ながらどちらの方が悪いのかは判断が難しい。結果は一つだが、原因は相互に照応している。簡単に言えば、「メシくれ虫」を作ったのは「カネくれ虫」であり、「カネくれ虫」を作ったのは「メシくれ虫」なのだ。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

朝鮮日報 2018/07/01 05:05
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/28/2018062802327.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1530518160

3 7月

【朝鮮日報コラム】「韓米同盟・韓日関係が切れたら韓国は吹き飛ばされる」

1 名前:すらいむ ★:2018/07/02(月) 16:52:40.14 ID:CAP_USER.net
【コラム】「韓米同盟・韓日関係が切れたら韓国は吹き飛ばされる」

 和気あいあいとした「板門店会談」が終わってから半月もたっていない時のことだ。
北朝鮮は「南朝鮮(韓国)当局は米国と共に我々に対する空中先制打撃と制空権掌握を目的に大規模な合同航空戦闘訓練『2018マックスサンダー』を行っている」と猛非難し、取り決められていた南北閣僚級会談を開始予定時間の数時間前に取り消した。

 このようなひょう変ぶりには戸惑ったが、元はといえば問題は我々にあった。
板門店宣言には「南と北は地上と海上、空中をはじめとするあらゆる領域で軍事的緊張と衝突の根源となる相手側への一切の敵対行為を全面停止することにした」という条項がある。
韓米合同軍事演習は「敵対行為」に該当するということだ。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

朝鮮日報 2018/07/01 05:06
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/28/2018062802328.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1530517960

16 5月

【朝鮮日報コラム】広島に行くオバマ大統領へ

1 名前:シコリアン ★@\(^o^)/:2016/05/16(月) 11:20:20.16 ID:CAP_USER.net
 広島にいらっしゃると聞きました。私は昨年7月に行ってきました。緑豊かな公園の横に太田川が流れ、原爆でドームが吹き飛んだ産業奨励館跡ではスズメが鳴いていました。そよ風に潮のにおいが混じるこの都市で、1945年8月6日に14万人が死亡し、3日後には長崎でも7万人が死亡した。このうち4万人が朝鮮人だったことは、韓国以外の国々にはあまり知られていません。

 私たちは日本外信記者協会の協力により、米国・ロシア・ドイツ・フランス・スイス・中国など10カ国の記者15人で一緒に動きました。記事を書くのが嫌でした。それは微妙な時期だったからという言い訳もあります。安倍晋三首相が終戦70周年記念談話を発表する1カ月前ということで、韓国の世論が激しさを増していました。

 振り返ってみると、狭量だったように思います。日本のせいで苦しめられたから、日本が受けた苦痛はそれが何であれ、「どんな目に遭っても当然だ」と考えたいと思っていました。それを恥ずかしいと感じさせる言葉を、生存者の小倉桂子さん(77)から聞きました。

 「米軍の爆撃機から黒い点のような爆弾がゆっくりと落ちました。次の瞬間、キノコ雲がわき上がりました。腸が飛び出した人々が『お母さん、お母さん!』と叫びました。生き残った人々は半分溶けたり、骨だけ残っていたりする遺体の山を踏んで必死に走りました。大勢の人々が川に飛び込んだと聞きました。熱くて、のどが渇いたからです」

 小倉さんは太田川を指して、「あの川いっぱいになった遺体が、干潮時は海に押し流され、満潮時は再び河口に押し戻されてくるのを三日間以上繰り返しました」と言いました。「数十年間、罪悪感がありました。私はなぜ生き残ったのだろうか。生き残った意味は何なのか。ここに来るたびに、その時死んだ方々に『申し訳ありません。まだこの世には核兵器があります』と謝罪しています」とも言いました。

 しかし、私はそうした言葉に完全には集中できませんでした。「『日本は世界で唯一の被爆国だ』という話を私は今日、何回聞いたのだろうか」と数え、「あの言葉はなんでこんなにも耳に引っかかるのか」と思うと、落ち着きませんでした。

 私の中には、広島の惨状に同情する気持ち、核のない世界を応援したい気持ち、「日本の謝罪と同じくらい、韓国の寛容さも重要だ」と信じる気持ちがあります。それと同時に、「広島ではなかったら、もっと長い時間、苦しめられていただろう」という現実の判断もあります。

 弱い国を侵略した国は日本以外にもたくさんありますが、日本より残忍で執拗(しつよう)な国はナチスドイツしかありません。この国が自らの罪業の結果に70年以上苦しむ姿は、時にふと疎ましくなります。一緒に記念館を見学した米国人記者は「ここには『1945年8月6日』だけがあり、それ以前の世界はなかったような空間だ」とぽつりと言いました。

 私の顔にそうした思いが出ていたのでしょうか。案内していた方が時々、私を別に呼んで「一行の中に韓国人記者がいることを知り、生存者たちが『朝鮮人もたくさん死んだ』という話を是非したいと言っていたが、テーマや日程上、そうできなかった」と申し訳なさそうにしていました。善意だと判断して「あ、はい」と笑いましたが、オバマ大統領が行く時も同じ状況が繰り返されるなら、その時は笑ってやりすごすことはできないでしょう。朝鮮の人々は植民地支配と原爆2回に苦しめられました。その痛みに対して何とおっしゃるのか、広島に行って見守りたいと思います。

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2016/05/16/2016051600776_thumb.jpg

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/05/16/2016051600776.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/05/16/2016051600776_2.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1463365220

17 7月

【朝鮮日報コラム】偉大な指導者・李承晩を知らなすぎる韓国人 李承晩死去50年、彼なしで今の韓国はあるのか

1 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/07/17(金) 00:56:56.41 ID:???.net
    李承晩死去50年、彼なしで今の韓国はあるのか
    「親日」「親米」批判は的外れ

 今から50年前の1965年7月19日午前0時35分、ハワイのある高齢者療養施設で90歳になる韓国人の病人が他界した。
1カ月前から血を吐くようになり、死去の前日にはものすごい量の血を吐いた。傍らには生涯連れ添った妻、跡取りとして
迎えた養子、そして在米の同胞が1人いるだけだった。大きなため息をつき、静かに息を引き取った。どれだけつらいときも
泣かなかった妻がおえつをもらした。

 伝記作家のイ・ドンウク氏が、葬儀の一場面を伝えている。ある米国人の友人が泣きながらこう叫んだ。
「お前を知っている! お前を知っている! お前がどれだけ祖国を愛していたのか…。そのせいでお前がどれだけ苦労してきたのか。
まさしくその愛国心のせいで、お前があれほど非難されながら生きてきたことを、私は知っている…」

 その米国人は葬儀屋を営んでおり、米国で死亡した中国人労働者の遺体を中国へ送っていた。そこへ李承晩(イ・スンマン)
という韓国人が訪ねてきて、その棺に隠れて上海へ行きたいと持ち掛けてきた。韓国独立運動をしているが、日本が懸賞金を
懸けて自分の行方を追っているというのだ。その韓国人は、実際に棺に入って密航に成功した。「愛国心のせいでお前が
どれだけ苦労し、どれだけ非難されたのかを知っている」という絶叫は、まさに心の底からの叫びだった。

 今月15日の朝、国立ソウル顕忠院にある李承晩元大統領の墓を訪れた。あと数日で彼が亡くなって50年になる。
記者もやはり、李大統領についてよくない話ばかりを聞かされて育った。その生涯全てを知り敬意を表するようになったのは、
50歳を過ぎてからだ。

 墓の前で「もし韓国の建国大統領である彼が米国や国際政治の動きを把握し、利用することのできない人だったなら、
今の韓国は存在し得ただろうか」と自らに問い掛けてみた。答えは「ノー」だった。彼なくして大韓民国を建国し、私たちが
自由民主陣営に立ち、戦争から国を守ることは可能だったのかという質問に、誰が「イエス」と答えられるだろうか。
追悼の碑に刻まれた地主撤廃、教育振興、制度新設など、今の韓国社会の土台が彼の手で築かれた。
原子力発電さえも、彼によって第一歩を踏み出した。

 彼は無知蒙昧(もうまい)な国に生まれたが、そんな風に生きることを拒んだ。19歳のときに米国人のキリスト教宣教師が
設立した培材学堂で学ぶようになり、自国の外の新世界に初めて接した。乱れた朝廷を言論で改革しようとして
死刑判決も受けた。監獄では、昼間は拷問され、夜は英語の辞書を作った。彼は、独立するには米国が必要だと信じていた。
1905年、30歳にしてジョージ・ワシントン大に入学し、ハーバード大で修士号を取得したのに続き、プリンストン大で
国際政治論文を書いて博士号を取得した。

 41年、米国で日本の対米攻撃を予測した『JAPAN INSIDE OUT(日本の内幕記)』を著した。出版から4カ月後、
日本が真珠湾を攻撃した。米国の政治家らは韓国人の李承晩を見直した。

 李大統領は54年、この本の韓国語版の序文にこう書いた。「日本人は昔も今も、顔では笑って内心では悪意を持ち、
ずる賢い外交で世界をだます…(中略)少しも後悔したり謝罪したりする様子を見せないばかりか…(中略)米国人たちは
今もこれを知らずに日本人たちのおべっかを喜び、賄賂にだまされて日本の再武装と再拡張に全力を挙げている…(中略)
ひいては私たちに日本との親善を勧告しているのだから…(中略)」

(>>2以降に続く)

楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2015/07/16 11:37
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/16/2015071601365.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/16/2015071601365_2.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/16/2015071601365_3.html

2 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/07/17(金) 00:57:41.35 ID:???.net
(>>1の続き)

 李大統領は序文を「米国がどうしようと、百姓が皆死んでいなくなろうとも奴隷にはならないという決心をして心を一つにし、
国土を守れば、天が私たちを助けてくれるだろう」と締めくくった。生涯にわたって「反日」だった李大統領を「親日」だと言い、
生涯にわたり「用米」だった彼を「親米」だと言う人は、事実を知らないか、知っていながら罵倒しているのだ。

 蔚山大のチェ・ジョンホ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は
「混迷していた旧韓末(朝鮮王朝時代末期から大韓帝国までの時期)、誰もが中国、日本、ロシアばかりを見ていたとき、
青年だった李承晩は水平線の向こうに米国を見つけた。そのため、彼を『19世紀韓国のコロンブス』と呼ぶ」と説明。
「われわれの数千年の歴史における今の繁栄は大韓民国を建国した李氏の功労の結果だが、今の韓国国民は
この偉大な指導者のことを知らなすぎる」と嘆いた。李承晩の功績を無視したりゆがめたりし、過ちばかりをほじくり返す行為は
今も続いている。建国大統領の死から50年という節目を迎えても、われわれはいまだに彼に感謝するすべを知らない。

 李大統領は1960年に下野した後、冬の暖房の燃料にも事欠くほどだった。ハワイでは同胞が用意してくれた30坪
(約100平方メートル)ほどの古い家で貧しく暮らした。フランチェスカ夫人の実家から衣類を送ってもらったときの段ボールを
たんす代わりに使った。同胞たちが少しずつ寄付してくれたカネで生き長らえ、祖国への旅費をためるため5ドル
(現在のレートで約620円)の散髪代さえ惜しんだ。老夫婦はごく小さな食卓に向かい合って座り、韓国に戻る日だけを
待ちわびた。そうして5年の月日が流れた。

 李氏が韓国料理を恋しがると、妻はつたない韓国語で歌を作って歌ってくれたという。李氏も一緒に歌ったその歌を、
作家イ・ドンウク氏が伝えている。「毎日、毎日、キムチチゲ(チゲ=鍋料理)、キムチグク(グク=スープ)/毎日、毎日、
豆もやしグク、豆もやし/毎日、毎日、豆腐チゲ、豆腐グク/毎日、毎日、みそチゲ、みそグク」。誰もおらずひっそりとした
彼の墓の前で、この歌を思い出すと胸が詰まった。

(おしまい)


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1437062216

11 1月

【朝鮮日報コラム】桑田佳祐のソウル公演への期待

1 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/01/11(日) 17:34:42.49 ID:???.net
 1995年夏、日本の人気ロックバンドが「LOVE KOREA」という曲をリリースした。「チゲ」「キムチ」「オモニ(母さん)」「僑胞(キョッポ=在日韓国人)」
「チョゴリ(韓服の上衣)」「ゲンチャナヨ(大丈夫)」などの韓国語が入り混じり、「そりゃオモニが言った麗しLove Korea」と歌っている。このバンドの
ボーカルはテレビで韓国料理店に行き、韓国語で「オモニ」「ヨボセヨ(もしもし)」と叫び、韓服を着た人たちと一緒に「アリラン」を歌った。最も日本的で、
だからこそ日本人が最も愛するが歌手がなぜこのような「親韓的な行動」をするのか、彼自身が直接説明したことはない。

 それからほぼ20年たった2014年12月、このバンドのボーカルは日本人の2人に1人が視聴するNHK『紅白歌合戦』のステージで、『ピースとハイライト』
という曲を歌った。「教科書は現代史をやる前に時間切れ/そこが一番知りたいのに」「悲しい過去も 愚かな行動も 人間(ひと)は何故(なぜ)に
忘れてしまう?」。ステージのバックには安倍首相や朴槿恵(パク・クンヘ)大統領のお面をかぶった子どもたちが小突き合うシーンが登場した(原文ママ)。
その数日前、このバンドはコンサート会場を訪れた安倍晋三首相に向かって「衆院解散なんてむちゃを言う」と「直撃弾」を飛ばした。

 桑田佳祐(58)と、彼が率いるバンド「サザンオールスターズ」のことだ。1978年にデビューした桑田は、韓国で例えるなら「チョー・ヨンピル」クラスの
大物人気歌手だ。異なる点があるとすれば、今も彼が新曲を出せば間違いなく音楽ランキングの1位になるということだ。音楽的にも社会的にも
絶対的に尊敬されている桑田が2013年夏、安倍政権の暴走ぶりを批判した『ピースとハイライト』をリリースするや、日本社会は騒然とした。
そして昨年末に桑田が見せた「反安倍パフォーマンス」はさらに議論を呼び、彼に対する中傷が増えた。

 しかし、桑田はやめなかった。彼はこのほど、公式ホームページに3月リリース予定の新曲『平和の鐘が鳴る』の歌詞を事前公開した。
今年は韓国にとっては光復(日本統治からの開放)70周年、日本にとっては敗戦から70周年だ。桑田は「過ちは二度と繰り返さんと/
堅く誓ったあの夏の日/未だ癒えない傷を抱えて/長い道を共に歩こう」と歌う。桑田の歌は慰安婦強制動員などの明白な歴史的事実すら
否定する日本に自省を促す。こうした状況のため「天下の桑田」もコーナーに追い込まれている。「あんな歌は日本ではなく韓国でまず歌え」
「また反日の歌か」「お前、在日韓国人じゃないの?」…。毎日悪質な書き込みがネット上に飛び交っている。

 桑田は韓国にも大勢のファンを持つが、来韓公演はまだない。韓日両国共に意義深い今年、ソウルで桑田のステージを見てみたい。
桑田と意思を同じくする両国の歌手がステージにそろって立てば、両国国民の閉ざされた心を開く「平和のコンサート」になるだろう。
ソウル公演の成功は、東京公演につながる可能性がある。今、韓日間には形式的な首脳会談よりも歴史と現実に踏み込んだ人々の
連帯の方が切実に必要とされている。

政治部= 鄭佑相(チョン・ウサン)次長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2015/01/11 07:11
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/01/10/2015011000953.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1420965282

28 9月

【朝鮮日報コラム】「女嫌い」塩野七生氏の老醜 塩野氏の本を必読書として愛蔵してきた韓国人読者たちに対する礼儀ではない

1 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2014/09/28(日) 14:39:27.14 ID:???.net
 もうすぐ50歳のオバサンなのに、生理用ナプキンを買いに行く時はためらいを感じる。店員が女性であることを確認し、
黒のレジ袋に入れてもらってやっと一安心する。命を宿す能力、男には死んでも経験できない大自然の摂理がなぜ
恥ずかしく感じられるのだろうか?

 日本の社会学者・上野千鶴子氏はこれを「女性嫌悪」と紹介している。自分が女性であるシンボルを恥だと受け止めるということだ。
長年にわたり女性を性的な道具と考えてきた家父長社会で、女性嫌悪は代々受け継がれてきた。初潮を告げた時に慌てふためいた
母親の顔、そして「家の男たちが気付かないようにきちんと処理しなさい」という「厳命」に、娘たちは恥を感じる。だが、女性嫌悪が
延々と続くわけではない。同情や自分との闘いに変化し、世の中の差別に対抗する原動力へと昇華されることもある。

 「原罪」のように与えられた女性嫌悪に縛られない女性もいる。自分を「例外的な女」と認識しているケースだ。社会的に成功している
女性に多い。彼女たちは「自分は女性だと思って暮らしたことが一度もない」という言葉を自慢げに口にする。女性である自分自身を
嫌悪する代わりに、自分以外の平凡な女性たちを嫌悪しているのだ。

 『ローマ人の物語』『十字軍物語』といった歴史物で韓国でもミリオンセラーを出している日本人作家・塩野七生氏もそうしたタイプだ。
「私は女性の世界には関心がない。私が関心があるのは男性、中でも戦争」と繰り返し言ってきた塩野氏は「私の夢は防衛大臣」と
語ってもおかしくないほど、帝国に対するロマンをはばかることなく表出してきた。

 お堅いローマ史を「米国ドラマ」のように大衆的にしたと称賛されている代表作『ローマ人の物語』(全15巻)に対し議論が巻き起こったのも、
そのためだった。「戦争では勝者と敗者という区別しかない」という信念は、ナチスや日本帝国主義の蛮行に免罪符を与えることもできるため
非難された。塩野氏の強い男性に対する崇拝は、女性への「さげすみ」にもつながっている。「男が強く望めば、女らしさのある女は屈服するものだ」
「そうは言っても自制心のある女性を女らしいとは言わないのが、世の男共ではあるのだけれど」「虚栄欲と物欲そして性欲という実に女らしい欲望」
などの言葉を平気で口にしてきた。

 月刊誌「文藝春秋」の最新号に掲載された塩野氏の文章は想定の範囲内のものだった。「人間には、恥ずかしいことをしたとか悪いことを
したとか感じた場合には、強制されたのでやむをえずやった、と言い張る性向がある」という言葉で元慰安婦たちの名誉を傷付けただけでは飽きたらず、
独特の文学的想像力まで発揮した。「戦場での一日は、極度の緊張を人間に強いる。そういう一日の後で一肌恋しさのあまりに慰安婦のところに
行ったのはよいが、女の胸の中で泣きじゃくっただけで時間切れになってしまった、若い兵士もいたのではないかと想像してしまう」。
塩野氏の本にどれだけの独断やフィクションが含まれているかを推測させる部分だ。

 シーザーのような男に屈することに喜びを感じる塩野氏のマゾヒズム的恋愛観をとがめるつもりはない。慰安婦問題の本質は、女性の
人権蹂躙(じゅうりん)だという事実は無視したまま、祖国の体面に傷が付かないかどうかだけを心配する老醜がやるせないだけだ。
少なくとも、塩野氏の本を必読書として愛蔵してきた韓国人読者たちに対する礼儀ではない。

文化部= 金潤徳(キム・ユンドク)次長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/09/28 07:10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/27/2014092701064.html

関連スレ
【zakzak/黒田勝弘】朝鮮日報記者、作家の慰安婦評論を「老醜」と非難 よりよき高齢化社会はどこへ?[09/27]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1411814183/l50


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1411882767

9 8月

【朝鮮日報コラム】朝日新聞の孤立

1 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2014/08/09(土) 12:15:06.65 ID:???.net
 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局の記者2人が、編集室に押し入ってきた暴漢に銃撃された。脇腹を撃たれた
29歳の記者は翌日、絶命した。犯人は3日後、右翼組織「赤報隊」を名乗り、日本の通信社2社に「全ての朝日社員に
死刑を言い渡す」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」という声明文を送った。犯人は今も捕まっていない。

 2001年8月15日、朝日新聞は終戦の日に「歴史に対する責任」という社説を掲載した。「すべて天皇の名において
『皇軍』への命令が下されたことを考えても、やはり天皇の戦争責任は免れない、というほかあるまい」とし、「国家の
最高位にあった人物が責任を負わないで、どうして普通の臣民が自らを省みるか」というジョン・ダワー氏の言葉を引用している。
 天皇の戦争責任論は当時も今も日本社会でタブーになっている。

 2005年3月27日、朝日新聞論説主幹だった若宮啓文氏は「風向計」というコラムで「いっそのこと島を譲ってしまい、
『友情島』にしてもらう」という「夢想」を書いた。遠回しな表現だったが、独島(日本名:竹島)放棄を主張したのだ。
 それでも右翼の行動隊が朝日新聞社前に集結し「国賊、売国奴、切腹しろ」と脅した。若宮氏は日本の右翼の敵になった。
 朝日新聞はその若宮氏を6年後、新聞編集の最高位である主筆に任命した。

 日本語を学ぶ韓国人学生にとって、朝日新聞は貴重な教材だ。誤字が少なく、文法が正確だという理由だけではない。
 朝日新聞からは民族主義という名の嫌なにおいが漂ってこない。その良い例が在日韓国人犯罪を扱った記事だ。
 他紙とは違い、朝日新聞は容疑者の韓国名を書かない。代わりに在日韓国人が日本で使用している日本名「通名」を
記載する。言葉一つとっても在日韓国人に対する偏見を助長したくないということだ。

 朝日新聞の発行部数は朝・夕刊合わせて1日1027万部に達する。1320万部を発行する読売新聞と共に、日本の
知識人の「議論の場」を二分する。朝日と読売はよく進歩と保守に色分けされるが、朝日にはそうした基準だけでは
分類できない独自の価値がある。新聞販売に不利なことを知りながら民族主義を排撃して国際主義を尊重し、
読者の心中が穏やかでなくなると知りながら過去の反省を求めタブーを破壊するのだ。それでも朝日新聞は日本の
100年にわたるマスコミの歴史で「二大紙」の地位から転落したことがない。日本の知識社会が深く、裾野が広いことを
証明している。

 今年8月5日と6日の朝日新聞に掲載された特集記事が、日本の社会を再び議論の渦に引き込んでいる。
 二日間にわたり5ページを割いた「慰安婦問題の本質 直視を」という記事だ。朝日はいくつかの誤報を公にして
訂正した上で「慰安婦の強制動員はなかった」という日本社会で主流を成す主張を再度批判した。だが、日本社会では
「朝日が間違いを認めた」と攻撃が相次いでおり、日本政府までこれに加勢している。

 旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる朝日新聞の闘いは20年以上になる。加害者の国の新聞が常に被害者側に立って
闘ってきたのだから、孤立し疲れが見えてきた。これを知恵を持って助ける方法が韓国政府にはあるはずだ。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/08/09 11:58
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/09/2014080900729.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1407554106

4 8月

【朝鮮日報コラム】歴史と正直に向き合わない韓国

1 名前:すらいむ ★@\(^o^)/:2014/08/03(日) 15:38:16.11 ID:???.net
【コラム】歴史と正直に向き合わない韓国
日清戦争120年、韓中日の史跡にみる歴史との向き合い方

 韓中日3カ国はあまりに異なっていた。先月上旬から中旬にかけて、韓国・中国・日本の日清戦争の現場を
取材した。今年は日清戦争120周年。1894年7月25日、韓国・牙山湾の豊島沖で、日本は清の艦隊を奇襲した。
その後3カ国は互いに異なる歴史の道を歩んだ、ということを言いたいのではない。言いたいのはまさに今、
歴史を記憶する方法についてだ。

 日本は、過去を誇らしく回顧していた。日本の艦隊が出発した佐世保、軍艦を建造した長崎、「戦時の首都」
だった広島などを訪れてそう感じた。「輝ける歴史」と明示してはいなかった。「1882年 軍艦整備計画案に
基づき、2400万円を投じて、8年がかりで軍艦32隻を建造する計画を立てた」「広島に大本営を設置し、明治
天皇が1894年9月15日から翌年4月27日まで滞在した」。関連の展示館や記念館の案内文は、静かに事実を
記していた。

 佐世保の海上自衛隊史料館は、1945年8月までに沈んだ日本の艦艇の数を整理し、図表にしていた。太平洋
戦争中、空母25隻、駆逐艦253隻、潜水艦170隻、巡洋艦42隻など計502隻が沈んだ、という内容だ。既に
70年前、これほど大規模な艦隊を持っていたという事実に驚いた。乾いた文体の「行間」から、過去の戦争に
対する郷愁が伝わってくるように感じた。侵略戦争を起こし、他国の国民だけでなく多数の日本国民も犠牲に
なったという反省や後悔は、一言もなかったからだ。

 中国は、屈辱の歴史を深く刻んでいた。日清戦争当時、北洋艦隊の司令部があった山東省威海の劉公島に
「甲午戦争博物館」を作り、恥辱の歴史を詳細に記録していた。劉公島の陥落で清は屈辱的な敗北を味わい、
丁汝昌提督は自ら命を絶ち、巨額の賠償金を払い、台湾など領土を奪われ、日本軍が旅順を占領した時には
中国の民間人約2万人が虐殺された、という内容だった。展示館の出口には「甲午戦争で敗れた屈辱の歴史は
『立ち遅れてしまうとすぐにやられる』という道理をあらためて証明した。われわれはこの歴史を教訓として、
海上に鋼鉄の長城を築くことで歴史の悲劇が繰り返されないようにしなければならない」という誓いが記され
ていた。

 韓国の現場には、何もなかった。専門家の案内がなければ、どこでどのようなことが起きたのか、全く
分からなかった。日本軍は豊島沖海戦の2日前、7月23日に景福宮を占領し、高宗を捕虜にした。清と日本は
7月29日の「成歓の戦い」を皮切りに、朝鮮の地で戦争を行った。日本軍は韓半島(朝鮮半島)南部で東学
農民軍3万人以上を虐殺した。しかし景福宮にも、成歓にも、虐殺現場にも、これが記録されている所は
なかった。恥辱の現場を消すことが、痛みを克服する方法だと思ったからなのかもしれない。しかしこれは、
歴史と正直に向き合う態度ではない。

 取材の過程で会った中国人の教授は、恥辱の歴史を細かく記憶する理由について「倒れた場所からまた
起き上がらなければならないため」と語った。ならば韓国は、いまだに倒れたままだ。

李漢洙(イ・ハンス)文化部次長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/08/03 07:10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/02/2014080200779.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1407047896

3 8月

【朝鮮日報コラム】不振の原因を究明しないサムスン電子

1 名前:すらいむ ★@\(^o^)/:2014/08/03(日) 15:47:28.62 ID:???.net
【コラム】不振の原因を究明しないサムスン電子

 サムスン電子が再び「非常経営」に入った。今年第2四半期(4-6月)にスマートフォン(多機能携帯
電話)事業が予想より不振だったことから、危機打開を目指した格好だ。飛行時間10時間以内の海外出張
では役員もエコノミークラスを利用することとし、出張費用を20%カットすることも決めた。ソウル市
瑞草区の社屋にある経営支援室所属の社員150-200人を水原市などの生産現場に投入する動きも進んでいる。

 危機意識は現在のサムスン電子を生み出した力だ。サムスンの成長史を見ると、危機意識が経営の重要な
キーワードだった。「女房と息子以外は全て変えろ」と命じた李健熙(イ・ゴンヒ)会長の「新経営宣言」は、
変化がなければ滅ぶという危機意識の表れだ。「5年、10年後にどうやって食べていくかを考えると、背筋に
冷や汗をかく」という発言も同様だ。

 こうした危機意識は未来戦略室を経由し、系列企業にも広がっている。「順調なサムスンが騒ぎ過ぎだ」
という反応も聞かれるが、経営環境の変化に非常体制で対応してきたことが成功の要因であることを否定は
できない。

 しかし、サムスン電子が現在広めている危機意識と非常経営の内容には素直にうなずくことができない。
今が危機だというならば、その危機の原因を的確に分析したのかは不明だし、出張費の削減や成果給の
返上などのコスト削減に象徴される非常経営が危機対策として適切かどうかは疑問だ。

 サムスン電子が直面する現実に対する専門家の見方は大方一致している。ソフトウエア競争力と革新能力
でアップル、グーグルなどに劣ることだ。トップ企業を追撃する立場であれば、優れた生産力、それを
支える厳格な組織文化と規律が大切だ。しかし、トップ企業の仲間入りを果たした現在、未知の市場を
開拓する創意性、大胆な挑戦が奨励され、失敗が容認される柔軟な組織文化が求められる。

 ところが、現在のサムスン電子の非常経営は過去回帰的で後進的だ。危機の原因を究明せず、支出から
抑えようとしている。自発性とは程遠い上意下達式だ。創意と革新が求められる競争時代に農業的な勤倹、
勤勉さを求めているようなものだ。アップル、グーグルと競うつもりで働いてきた若い社員は、エコノミー
クラスに10時間も乗り、重要な交渉のために出張に赴く役員を見てどう思うだろうか。

 サムスン電子のそうした非常経営は韓国経済にも利するところがない。第2四半期に「7兆1900億ウォン
(約7190億円)だけ」しか営業利益が上げられなかったことを理由に、役員は成果給まで返上したが、
これでは数十億ウォンの利益を上げた企業が果敢な投資を行ったり、社員の成果給を太っ腹に支給したり
することはできない。ただでさえ冷え込んだ内需に冷や水を浴びせかねない。

 サムスンによる過去の危機打開策はコスト削減だけではなかった。1990年代前半には、パスポートすら
持っていない役員が半分以上いたが、数十人、数百人単位でドイツ、イタリア、日本などに人材を派遣し、
進んだ文物を体験させ、「新たな経営」を学ばせた。当時としては思い切った支出だった。そうした
創意的で大胆な非常経営が今日のサムスンの礎になっている。

 サムスンが現在を危機だと判断したならば、コスト削減が最優先ではない。韓国最大の企業として、
他の企業に与える影響にも配慮しつつ、「長男」らしい対策、危機の原因を正確に分析した上での非常経営を
期待したい。

チョ・ジュンシク産業2部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/08/03 07:09
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/02/2014080200763.html


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1407048448

21 7月

【朝鮮日報コラム】中・日に挟まれた韓国、米国を戦略的に利用せよ-金大中(キム・デジュン)顧問

1 名前:すらいむ ★@\(^o^)/:2014/07/20(日) 19:25:58.10 ID:???.net
【コラム】中・日に挟まれた韓国、米国を戦略的に利用せよ

丙子胡乱の評説を読んでいる時にやって来た習近平主席
安倍政権の軍国主義回帰、前後を敵に挟まれた韓半島
米国の力を戦略的に活用するインテリジェント外交を貫け

 明知大学の韓明基(ハン・ミョンギ)教授が書いた『歴史評説 丙子胡乱(へいしこらん)』は、読み進めるのが
実につらい本だった。われわれの先祖が中国人から受けた民族的受難と恥辱は、今日の韓国人にとっては本当に
耐えられない苦痛であり拷問だった。読んでいる途中に何度もしばし本を置き、時には投げ付けることもあった。
それほど生々しい内容が描かれているのだ。

 1623年に光海君が廃位された政変「仁祖反正」により王位についた仁祖や、その取り巻きとして事大主義に徹した
大臣らは当然としても、彼らの愚かな政治が原因で無念にも死んでいかざるを得なかった数十万人の民衆は
あまりにも悲惨だった。当時の朝鮮を好き勝手に収奪した中国人たちに、今からでも復讐したい思いに駆られた。

 そのような思いにふけっている時に、中国の習近平国家主席が韓国にやって来た。習主席は、壬申倭乱
(じんしんわらん、文禄・慶長の役)の際に当時の明が「朝鮮と肩を並べて支援を行った」と述べ、日本による
植民地侵略に対抗した韓中両国の共同の闘争を自慢げに語り、韓国に対して「どちらの側に付くのか」と非常に
巧妙に問い詰めてきた。しかし丙子胡乱(1627年の後金の侵略に続く1636-37年の清の侵略)の時に彼らが
韓国に与えた苦痛、6・25(朝鮮戦争)の時に中共軍によって命を奪われた数万人の韓国国民の犠牲には
一切言及しなかった。彼の来韓を受け、韓国国内は米国と中国のどちらに付くべきかをめぐってざわつき始めた。
その上日本の安倍首相は「軍国主義への回帰」まで進めているのだから、東アジアは今や「どの国とどの国が
くっつくのか」「どの国がどちら側に付くか」を決め直すべき時代を迎えたようだ。

 『歴史評説 丙子胡乱』を執筆した韓明基教授は、同書の後書きに「朝鮮時代の知識人たちは、韓半島
(朝鮮半島)が置かれた地政学的状況を『腹背受敵』と表現したが、これは腹と背の双方に向かって敵が押し
寄せてくるという意味だ。正面あるいは背後でこれまでの秩序を変えるような変化が起これば、『挟まれた者』の
立場は深刻な状況に置かれる。(中略)明が衰え、日本が勃興しつつあった16世紀末に壬申倭乱が起こった。
壬申倭乱が原因で明の衰亡が早まり、ヌルハチが支配していた満州が勃興して17世紀に入ると丙子胡乱が起こった。
その後アヘン戦争によって清が衰え、日本が再び発展した19世紀末から20世紀にかけ、日清戦争と日露戦争が
韓半島を襲った。要するに周辺でパワーシフトが起こると、韓半島はたちまち戦場となっていたのだ」と
記載している。韓明基教授は今日の韓半島周辺で再びこのパワーシフトが起こりつつあるとみているのだ。

 そのパワーシフトの当事者の一人である習近平国家主席が韓国を訪れた。韓国を「兄弟の国」などと持ち上げ、
両国関係を「親戚」と表現しながら、韓国に対して穏やかではありながらも「選択」を迫ったその言行は、
見ていて決して愉快なものではなかった。パワーシフトのもう一方の当事者は日本の安倍首相だ。彼は
中国包囲網を構築するためオーストラリアやアジア各国を積極的に訪問し、最近は北朝鮮にまでシグナルを
送り始めている。さらに中国に対して恐怖を感じつつある米国に対しては、日本の自衛隊をあたかも「米日の
自衛隊」に再編するかのような宣伝攻勢を行っている。
(つづく)

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版  2014/07/20 07:07
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/07/19/2014071900900.html

2 名前:すらいむ ★@\(^o^)/:2014/07/20(日) 19:26:22.13 ID:???.net
(つづき)

 これら一連の状況を目の当たりにした韓国の知識人たちは「100年前の状況が再現するのではないか」と
恐れている。しかし今の状況を100年前と表面的に比較する必要はない。現在の韓国は100年前の朝鮮では
ない。もちろん決して満足できるレベルではないが、われわれは経済力において中国や日本に一方的に
無視されるような立場ではなく、また軍事力においても米国の後ろ盾もあってその実力はある程度認められている。
文化的、あるいは政治的にも力なくやられるような弱い国ではない。ただし国力をある程度高めるべき
課題も抱えている。

 100年前と異なるもう一つの要素は米国の存在だ。一部では米国について「アジアで沈む太陽」のように
見る傾向があり、また「米国が今後も韓国の後ろ盾になってくれる保証などない」という声もある。とりわけ
極左勢力はこの機会に反米的な活動をさらに活発化させ、米国に対して韓国から完全に背を向けさせることを
諦めていない。しかしわれわれが「腹背の敵」をけん制するに当たっては「米国以外に突破口はない」という
思考を戦略的に持ち続けることが重要だ。中国と日本は5000年の歴史の中で常に韓国の地をじゅうりんし、
時にはそのまま飲み込んでしまうこともあった。しかし米国は少なくとも韓国の地を奪おうとする欲を
示したことはない。またわれわれは中国と日本に挟まれた5000年間常に貧しかった。食べることに不自由しなく
なったのは光復(日本による植民地支配からの解放)後のわずか60年のことだ。しかもそこには米国の支援が
あった。わが民族は米国を通じて中国と日本の勢力から抜け出して大洋に進出し、それによってついに太陽の
光を自ら目にすることができた。われわれはそのような次元で米国を善意を持って「利用」すればよいのだ。

 われわれは中国と日本の勢力圏、あるいは「落とし穴」の中に居続けてはならない。ただしそれには重要な
前提がある。中国と「親戚」のように過ごすと同時に、日本とは決して恨み合ってはならないという点だ。
われわれは外交面で表向きは虚勢を張り、その裏では周辺の強大国の求めに簡単に応じるという今までと
同じような行動パターンを繰り返してはならず、むしろ周辺国からは憎たらしく思われるほど弱いふりを
した方が良いだろう。その一方で内心では「何をどのようにやるべきか」について今からしっかりと自分の
考えを持っておかねばならない。

 金大中(キム・デジュン)顧問

(おわり)


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1405851958

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