- 1 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2016/05/21(土) 19:29:25.35 ID:CAP_USER.net
【海峡を越えて 日・韓・朝芸能始末記(1)】
「鳴り物入り」で解禁された日本映画はなぜ韓国でウケなかったのか…韓国の日本大衆文化開放
・「政敵」を意識した金大中大統領
1998年10月24日夜、韓国南部・光州市の小さなホール。歴史的瞬間を報道しようと、首都・ソウルなどから大挙して
詰めかけた日韓のメディアで異様なムードに包まれていた。
「植民地支配を思い出させる」「低俗だ」と、日本の大衆文化(音楽、映画、ドラマなど)が禁止されてきた韓国でこの日、
戦後初めて「日本語の歌」(大衆歌謡)が公式に歌われる。
光州は、就任当初から日本の大衆文化開放に積極的だった韓国大統領(当時)金大中のご当地だ。「日本週間」と銘打った
日本大使館主催のイベント。出演する歌手の沢知恵(さわ・ともえ)=当時(27)=の母方の祖父が韓国の高名な詩人であったことも
勘案されたに違いない。
翌々月からは、いよいよ解禁された日本映画の上映(開放の第1弾)が始まる。カンヌやベネチアなど4大映画祭の受賞作などに
限った公開だが、韓国内には期待と不安が交錯するピリピリムードが漂っていた。官製の公演は韓国世論の反応を探る“瀬踏み”の
意味もあったのだろう。
沢がピアノを弾きながら歌った「こころ」は韓国語の詩を祖父が日本語に訳した美しいバラード。会場の反応は上々だった。さぞや
「街中でも話題になっているに違いない」と外へ繰り出してみると、多くの市民は公演が行われていることすら知らなかった。
一躍「時の人」となった沢はトップバッターとなったことを喜びながら、騒ぎの大きさに戸惑い気味だった。「20年後は『笑い話』に
なっているでしょう」。少しシニカルなコメントが印象に残っている。
「大騒ぎ」しているのは政治とメディア、業界ばかりという構図は日本映画解禁でも繰り返された。
北野武監督の「HANA-BI」(前年のベネチア国際映画祭グランプリ)が日本映画解禁の記念すべき第1弾だった。韓国でも
北野監督の知名度は高い。前評判は上々で、日本映画解禁に“前のめり”になった韓国業者による他の作品買い付け競争も
次第にヒートアップ。まだ解禁されていない作品まで先を争って契約されたほど。
ところがいざ「HANA-BI」が公開されると、映画館はガラガラ。続く「影武者」(黒澤明監督)などの作品も空振りに終わり、
日本映画への期待、同時に不安や反発は急速に萎(しぼ)んでゆく。当時のソウル発記事を見てみよう。
《「HANA-BI」のソウルの観客動員数は当初予想した半分程度。配給会社は「日本映画なら無条件で成功すると
思っていたが少しアテが外れた」》
《韓国のマスコミも日本映画の不振ぶりを取り上げ「おじけづいて見守っていたはずの日本映画は予想外だった」「取材する
マスコミばかりが目立った」などと報じている…》
“鳴り物入り”で解禁された日本映画はなぜ韓国でウケなかったのか?
(>>2以降に続く)
産経ニュース 2016.5.21 18:15
http://www.sankei.com/premium/news/160521/prm1605210036-n1.html
- 2 名前:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2016/05/21(土) 19:30:01.02 ID:CAP_USER.net
(>>1の続き)
いくつか理由は挙げられる。“時代錯誤の文化鎖国”に反乱するかのようにすでに海賊版が大量に韓国に入っていたこと。
韓国人が好む娯楽性に欠けていたこと。さらには「政治的なプロパガンダ臭」を市民が敏感に感じ取っていたせいではなかったか。
実際、金大中が訪日に合わせ日本の大衆文化開放に踏み切った背景には、極限にまで悪化していた日韓関係や韓国内の
政治力学が複雑に絡み合っていた。
当時、駐日韓国大使館の参事官(後に公使)だった統一日報論説主幹の洪●(ホン・ヒョン)(68)は「理由の一つは
(長年のライバルで前任の大統領だった)金泳三氏との違いを示すためだった」と打ち明ける。
金泳三は「歴史の正しい立て直し」を掲げ、旧朝鮮総督府の建物を解体したり、日本に対する『ポルジャンモリ(腐った根性)』
発言など、反日の強硬姿勢を貫く。金泳三の退任直前には業を煮やした日本側が日韓漁業協定の破棄を通告。金大中の就任前、
日韓関係は最悪に陥っていた。
洪はいう。「日本にとって(漁業協定破棄は)最強のカードだ。それほど険悪だったわけでソウルでも東京でも(日韓首脳の)
対話チャンネルは切れていた」
韓国経済は“IMF危機”で国の財政が破綻の危機にある。あわてた金大中は「未来志向」を打ち出し、対日改善に乗り出してゆく。
日本の大衆文化開放はそのカードとなった。『反日』一辺倒だった永遠の政敵との違いを見せつけること。金大中を「軍事政権と
果敢に闘った民主化の闘士」などと、必要以上に持ち上げてくれた日本の世論を味方につけられるという計算もあったろう。
韓国内の条件も整いつつあった。1970年代から多くの高校生が第2外国語として日本語を学んでいたこと。中産階級が育ち、
日本の大衆文化が受容可能な最低限の素地もできていた。後は世論さえ読み誤らなければ、金大中は「OKボタンを
押すだけでよかった」と洪はいう。
日本の大衆文化開放は「教科書問題」での中断を挟みながら金大中政権時代に3次にわたって段階的に進められる。だが、金大中が
意欲を見せた「全面開放」には至らなかった。地上波でのテレビドラマ、バラエティー番組などはいまだ解禁されていない。
第1次開放から約20年がたつ。映画では、その後の条件緩和で公開された宮崎駿(はやお)監督のアニメ映画や岩井俊二監督の
恋愛映画などがヒットしたが、日本映画全体でみればビジネスとして成功したとは言い難い。
韓国・映画振興委員会の今年1~4月までの統計によれば、韓国内での韓国、アメリカ、日本の各映画の上映本数は「ほぼ同数」だが、
観客動員数となると米・韓と日本の差は「2ケタ」も違う。アーティストの音楽公演、CDやゲームの販売など他のジャンルでも、期待したほどの
大きな成功には結びついていないのが実情だ。
今や韓国内での「日本の大衆文化脅威論」は、すっかり影を潜めた。歌手の沢知恵が予言した『笑い話』は、少なくとも韓国側から見れば
その通りになっただろう。もはや「政治的なカード」としての効力もない。なのに意固地のように禁止を続け、全面開放しない理由は何だろうか。
「デジタル時代の日本放送」の著書がある韓国・京郷新聞東京支局長の尹煕一(ユン・ヒイル)(51)はこう見ている。「テレビドラマは
韓国のアンパン(お茶の間)文化の象徴。そこへ堂々と日本ドラマが入り込んでくるのはまだ国民感情として認めがたいということでしょうね」
やれやれ…。
日・韓・朝…密接なつながりを持ちながら政治や時代に翻弄されてきた芸能関係史を振り返る。
=敬称略、毎週土曜日掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
●=榮の木が火
(おしまい)
引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1463826565
日・韓・朝芸能始末記
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