在日

8 9月

【在日中共人のブログ】 「190円の切符」で駅員の表情が一変…山口県の無人駅で初めての「精算」に戸惑った

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/09/07(月) 06:49:57.39 ID:R8dBrley.net
呂 厳 2026年9月6日 17:00

ー前略ー
私たちは下関駅から電車に乗り、宇部駅でJR宇部線に乗り換えて草江駅へ向かい、そこから徒歩で山口宇部空港へ行く予定だった。
時間がなかったため、切符を買う際に運賃を詳しく計算しなかった。とにかく先に乗車し、到着してから不足分を精算すればいいと
考えた。東京で長く生活している私にとっては、それほど珍しいことではなかった。

念のため、改札付近の駅員にホームの場所を尋ねた。駅員は親切に教えてくれたが、私が持っていた190円の切符を見ると、
突然、表情が厳しくなった。「なぜこんなに安い切符を買ったんですか?」



私は、荷物を持った4人の客を気にしながら、時間がなかったため、とりあえず切符を買い、目的地に着いてから正確に精算する
つもりだったと説明した。すると駅員は、私を見ながら、「必ず精算してください」と念を押した。

その瞬間、私は少し嫌な気持ちになった。「私たちが外国人だから、特に強調しているのではないか」と思ってしまったのだ。
しかし、当時は考えている時間もなかった。汗をかきながら、急いでホームへ向かった。

その後の旅は順調で、乗り換えも問題なく進んだ。草江駅までたどり着き、私はようやくほっとした。しかし、電車を降りた時、
駅員がなぜあのような口調で「必ず精算してください」と言ったのか、その理由が少し分かったような気がした。
もしかすると、運賃を逃れるために、わざと一番安い切符を買って乗車する人もいるのかもしれない。

空港近くの駅が、まさかこれほど小さいとは思わなかった。そこには自動改札機も、「精算機」もなく、駅員もいなかった。
電車を降りた人は駅の出口まで行き、切符を小さな箱に入れて、そのまま駅を出ていく。このような駅を初めて利用した私は、
どうすればいいのか分からず、少し戸惑った。そこで地元の高齢者に尋ねると、その人は手を振りながら、
「大丈夫、大丈夫。行って、行って」と言った。



それでも私は、どうしても落ち着かなかった。そこで客を空港へ案内する一方、鉄道会社の連絡先を探した。
電話をすると、担当者は丁寧に対応してくれ、不足している運賃と切符を一緒に指定された箱へ入れればいいと教えてくれた。
すでに駅を離れていたため、銀行振り込みなどで不足分を支払うことができないかと尋ねたが、そのようなサービスはないとのこと
だった。

空港は草江駅からそれほど遠くなく、徒歩で約10分だった。客を空港まで送り、準備を整えた後、私は再び草江駅へ戻った。
そして、不足していた運賃として1人800円、5人分合わせて4000円を、あの小さな箱に入れた。記録を残すため、私は人に頼んで、
その様子を動画に撮ってもらった。

今回の経験を通じて初めて気付いたのは、外国人旅行者が日本の鉄道に抱く「交通システムが整っていて、ルールも明確」という印象
が、地方都市では必ずしも完全には当てはまらないということだった。日本の鉄道にとって、無人駅は人手を節約しながら、
地方の交通ネットワークを維持するための方法の一つだろう。一方、今回のように初めてこのような駅を利用する外国人旅行者に
とっては、「どこで精算すればいいのか」さえ、すぐには分からないことがある。



日本が今後、地方観光をさらに発展させ、より多くの外国人旅行者が東京や大阪などの大都市だけでなく、
山口県のような地方を訪れるようになるのであれば、こうした一見小さな問題についても、改めて考える必要があるのかもしれない。

■筆者プロフィール:呂 厳
ー後略ー

全文はソースから
https://www.recordchina.co.jp/b990787-s115-c30-d1115.html


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788731397
8 9月

【地上の楽園の現実】 北朝鮮へ渡った9万3000人の在日朝鮮人…脱北者50人が語った「幸せな瞬間は一時もなかった」

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/08/30(日) 13:08:46.23 ID:GXr/Cczl.net
――「証言・北朝鮮帰国者 祖国に帰った『在日』はどう生きたか」。日朝両国の赤十字と政府、朝鮮総連、などが推進し、1959年
から25年間にわたって行われた在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業。 “地上の楽園”と喧伝されて約9万3000人が夢を抱いて海を
越えたが、“祖国”での暮らしはどういうものであったのか。北朝鮮へ渡り、さらにそこから脱北した50名の帰国者の人々に
インタビューを敢行し、そこでの労働、教育、監視、密告など、生身の生活をあぶりだした本書は刊行後にすぐに重版がかかり、
今は三刷ということで、大きな話題を呼んでいる。

今、あらためて在日の北朝鮮帰国とは何であったのかを問う。本書における取材、執筆、構成を担った石丸次郎氏と父が朝鮮総連の
幹部で3人の兄が帰国されたヤンヨンヒ監督の対談をお届けする。

・「北朝鮮では幸せな瞬間は一時もなかった」
――まずはヤン監督に伺います。一読されて、どのようにご感想を持たれましたか?

ヤン 一気に読みました。まず構成が素晴らしく、在日朝鮮人や朝鮮の歴史についての知識がない人でも、
スラスラと読めると思います。

そして何よりも、インタビューをされた書き手の石丸さんが、初めて中朝国境に取材に行かれた日からこの本の執筆に至るまでの
人生があるからこそ、インタビュイーたちは壮絶な人生を赤裸々に語れたのだと思います。
800人以上の脱北者を取材した石丸次郎に対する信頼と関係性が感じられて胸が熱くなりました。

帰国運動については、本にはできないエピソードもあったと思います。私にもあります。映画でも本でも、
この対談の場でも語れないこともあります。

そのギリギリのラインを、石丸さんはじめ、携わった「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」の方々で掘り起こしてひとつの形に
したというのは、人権意識とフェアネス、生き延びてきた方々への敬意と愛情の塊です。安っぽい同情ではここまでの作品には
ならないと思います。

石丸 本に書き入れたかったことは山ほどあります。帰国者たちがどういう精神で生きてきたのかをもっと書きたかった。
インタビューしたそれぞれの人が印象に残っているのですが、最も言葉が心に残っているのはキム・ギュソクさん。

1938年仙台のお生まれで、革命家として生きようと北朝鮮に行った方です。北朝鮮の現実に幻滅しながらも製鋼所の溶解工に志願
します。北朝鮮の民衆と共に在りたいと、重労働の最前線に立つという思いからでした。

北朝鮮に行ったら、社会主義を勉強しようと、日本から山のように本をもっていくわけですが、全部取り上げられてしまいます。
トルストイの「戦争と平和」を読めたのは、脱北して韓国に入ってからのことで、「感激で胸が一杯になった」と語っています。

北朝鮮が90年代の飢饉の時代に入ると、日本からの仕送りがあって少し余裕があったキムさんのもとに、周囲の飢える帰国者から
「一食だけでも食べさせてくれ」と懇願されるようになる。

しかし、施すと自分自身のお金がなくなる。家族を養うために、食べ物を乞う友人を遠さげ、言葉に耳を塞がなければならなかった。
その時、自分が目指していたヒューマニズムや共産主義は一体なんだったのかと、すごく苦しんだと正直に吐露されました。
極限に直面した時の帰国者の精神の一端を知りました。
ー後略ー
・数億円の寄付で金日成と写真が撮れる
・毎晩30〜50人の飢民が中国に越境
・朝鮮総連が握りつぶした内部告発
・映像ではなく本を執筆した理由
・監視と思想統制で兄が躁鬱病に
・「日本社会にも責任がある」
・「ヤンヨンヒ作品はどんどんスケールが大きくなっている」
構成/木村元彦

全文はソースから
集英社オンライン 8/30(日) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/233234e4a6bf4070111c7d09f2ed524348585053


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788062926
7 9月

【在日中共人のブログ】 「190円の切符」で駅員の表情が一変…山口県の無人駅で初めての「精算」に戸惑った

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/09/07(月) 06:49:57.39 ID:R8dBrley.net
呂 厳 2026年9月6日 17:00

ー前略ー
私たちは下関駅から電車に乗り、宇部駅でJR宇部線に乗り換えて草江駅へ向かい、そこから徒歩で山口宇部空港へ行く予定だった。
時間がなかったため、切符を買う際に運賃を詳しく計算しなかった。とにかく先に乗車し、到着してから不足分を精算すればいいと
考えた。東京で長く生活している私にとっては、それほど珍しいことではなかった。

念のため、改札付近の駅員にホームの場所を尋ねた。駅員は親切に教えてくれたが、私が持っていた190円の切符を見ると、
突然、表情が厳しくなった。「なぜこんなに安い切符を買ったんですか?」



私は、荷物を持った4人の客を気にしながら、時間がなかったため、とりあえず切符を買い、目的地に着いてから正確に精算する
つもりだったと説明した。すると駅員は、私を見ながら、「必ず精算してください」と念を押した。

その瞬間、私は少し嫌な気持ちになった。「私たちが外国人だから、特に強調しているのではないか」と思ってしまったのだ。
しかし、当時は考えている時間もなかった。汗をかきながら、急いでホームへ向かった。

その後の旅は順調で、乗り換えも問題なく進んだ。草江駅までたどり着き、私はようやくほっとした。しかし、電車を降りた時、
駅員がなぜあのような口調で「必ず精算してください」と言ったのか、その理由が少し分かったような気がした。
もしかすると、運賃を逃れるために、わざと一番安い切符を買って乗車する人もいるのかもしれない。

空港近くの駅が、まさかこれほど小さいとは思わなかった。そこには自動改札機も、「精算機」もなく、駅員もいなかった。
電車を降りた人は駅の出口まで行き、切符を小さな箱に入れて、そのまま駅を出ていく。このような駅を初めて利用した私は、
どうすればいいのか分からず、少し戸惑った。そこで地元の高齢者に尋ねると、その人は手を振りながら、
「大丈夫、大丈夫。行って、行って」と言った。



それでも私は、どうしても落ち着かなかった。そこで客を空港へ案内する一方、鉄道会社の連絡先を探した。
電話をすると、担当者は丁寧に対応してくれ、不足している運賃と切符を一緒に指定された箱へ入れればいいと教えてくれた。
すでに駅を離れていたため、銀行振り込みなどで不足分を支払うことができないかと尋ねたが、そのようなサービスはないとのこと
だった。

空港は草江駅からそれほど遠くなく、徒歩で約10分だった。客を空港まで送り、準備を整えた後、私は再び草江駅へ戻った。
そして、不足していた運賃として1人800円、5人分合わせて4000円を、あの小さな箱に入れた。記録を残すため、私は人に頼んで、
その様子を動画に撮ってもらった。

今回の経験を通じて初めて気付いたのは、外国人旅行者が日本の鉄道に抱く「交通システムが整っていて、ルールも明確」という印象
が、地方都市では必ずしも完全には当てはまらないということだった。日本の鉄道にとって、無人駅は人手を節約しながら、
地方の交通ネットワークを維持するための方法の一つだろう。一方、今回のように初めてこのような駅を利用する外国人旅行者に
とっては、「どこで精算すればいいのか」さえ、すぐには分からないことがある。



日本が今後、地方観光をさらに発展させ、より多くの外国人旅行者が東京や大阪などの大都市だけでなく、
山口県のような地方を訪れるようになるのであれば、こうした一見小さな問題についても、改めて考える必要があるのかもしれない。

■筆者プロフィール:呂 厳
ー後略ー

全文はソースから
https://www.recordchina.co.jp/b990787-s115-c30-d1115.html


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788731397
6 9月

中国人観光客と在日中国人では「目つき」が違う? 日本人の指摘が中国ネットで反響呼ぶ

1 名前:ばーど ★:2026/09/06(日) 08:21:17.64 ID:bkU8GDqr.net
中国のSNS・小紅書(RED)に「中国人観光客と長期に日本に住んでいる中国人とでは目つきが違う」との投稿があり、反響が寄せられた。

投稿者は、上記の言葉を日本人の友人から言われたという。その友人は両者の印象の違いを「観光客の多くはいつも相手を疑うような目をしていたり、ひどい場合は怒っているようにも見える。表情が硬い。一方、長期間、日本に滞在している中国人は表情がやや柔和で穏やか」と説明していたそうだ。

投稿者はこれを聞いて「ちょっと驚いた」といい、「私が見たところ、日本で出会った(知り合いじゃない)中国人はほとんど微笑まないばかりか、警戒感や冷淡さを感じることもある。軽蔑するような目をこちらに向けてくることさえある」と言及。「『俺はお前を見ないから、お前もこっち見るな』という意志が全身から感じられる」とし、「堂々としていて、気取らず、自然体な感じの人なんてほとんどいない」と認識の違いを明かした。

この投稿に、中国のネットユーザーから寄せられたコメントで最も共感を集めたのは「日本に長く滞在すればするほど、目から光が失われていく(泣笑)」とのコメントだった。ただ、投稿者はこれに対して「目から光がどんどん失われていくのは、年を取るからでしょ(泣笑)」と返信し、こちらにも多くの共感が集まっている。

また、「日本に長く住んでいるとルールを理解して落ち着いて行動できるようになる。旅行者は多くのことが分からず不安になってるんだろう」「海外にいる中国人は目つきや顔つきが確かに変わる。個人的な感覚でも、海外ではイライラせず、穏やかになれる」「日本に住んで6年。最初の2年はやっぱり警戒心を持っていた。日本社会にまだ慣れていなかったから。でも、帰国して2年間苦労したことで、自分の世界観は日本で形成されたものなんだと気付いた。その後、日本に戻ってからは堂々とできるようになった」といった声が見られた。

一方、投稿者が中国人から厳しい態度を取られたことについては、「なぜなら海外で一番、中国人をだましているのは中国人だから(泣)」「同胞が同胞をだます。血と涙の教訓」「海外で一番警戒すべきは、現地の居住証を持った中国人」といった声が相次ぎ、「以前、秋葉原で道に迷った2人の中国人に出会った。本能的に助けようと思って、どこに行くのか、困りごとはあるのかって聞いたら、その2人は疑いの目を向けてきて『何のつもり?』って逆に聞き、立ち去っていった」「観光客の貯金額は日本に住んでいる大多数の中国人よりもずっと多いから(警戒している)」といったコメントが寄せられた。

このほか、「いつも眉間にしわが寄っているのは間違いなく中国人」「中国人は他人を『値踏み』するのが好き。上から下までじろじろ見る。多くを語らなくても見れば分かる」「(日本に)旅行に来る同胞は2種類に分けられる。1つは(日本に対する)色眼鏡をかけている。もう1つはひねくれている」「日本で長く生活すると、帰国した時に自分がどんくさくなったと感じる。国内の人ほど頭が回転しなくなった感じ」「他人と出会った時の出発点の違いかもしれない。中国ではまず相手は悪い人だと考え、徐々にそれらを排除していって相手を良い人だと認識していく。日本ではまず相手を良い人だと考え、徐々に相手の悪いところを認識していく」といったコメントも見られた。(翻訳・編集/北田)

Record China 2026年9月5日 21:00
https://www.recordchina.co.jp/b991488-s25-c60-d0052.html


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788650477
6 9月

【地上の楽園の現実】 北朝鮮へ渡った9万3000人の在日朝鮮人…脱北者50人が語った「幸せな瞬間は一時もなかった」

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/08/30(日) 13:08:46.23 ID:GXr/Cczl.net
――「証言・北朝鮮帰国者 祖国に帰った『在日』はどう生きたか」。日朝両国の赤十字と政府、朝鮮総連、などが推進し、1959年
から25年間にわたって行われた在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業。 “地上の楽園”と喧伝されて約9万3000人が夢を抱いて海を
越えたが、“祖国”での暮らしはどういうものであったのか。北朝鮮へ渡り、さらにそこから脱北した50名の帰国者の人々に
インタビューを敢行し、そこでの労働、教育、監視、密告など、生身の生活をあぶりだした本書は刊行後にすぐに重版がかかり、
今は三刷ということで、大きな話題を呼んでいる。

今、あらためて在日の北朝鮮帰国とは何であったのかを問う。本書における取材、執筆、構成を担った石丸次郎氏と父が朝鮮総連の
幹部で3人の兄が帰国されたヤンヨンヒ監督の対談をお届けする。

・「北朝鮮では幸せな瞬間は一時もなかった」
――まずはヤン監督に伺います。一読されて、どのようにご感想を持たれましたか?

ヤン 一気に読みました。まず構成が素晴らしく、在日朝鮮人や朝鮮の歴史についての知識がない人でも、
スラスラと読めると思います。

そして何よりも、インタビューをされた書き手の石丸さんが、初めて中朝国境に取材に行かれた日からこの本の執筆に至るまでの
人生があるからこそ、インタビュイーたちは壮絶な人生を赤裸々に語れたのだと思います。
800人以上の脱北者を取材した石丸次郎に対する信頼と関係性が感じられて胸が熱くなりました。

帰国運動については、本にはできないエピソードもあったと思います。私にもあります。映画でも本でも、
この対談の場でも語れないこともあります。

そのギリギリのラインを、石丸さんはじめ、携わった「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」の方々で掘り起こしてひとつの形に
したというのは、人権意識とフェアネス、生き延びてきた方々への敬意と愛情の塊です。安っぽい同情ではここまでの作品には
ならないと思います。

石丸 本に書き入れたかったことは山ほどあります。帰国者たちがどういう精神で生きてきたのかをもっと書きたかった。
インタビューしたそれぞれの人が印象に残っているのですが、最も言葉が心に残っているのはキム・ギュソクさん。

1938年仙台のお生まれで、革命家として生きようと北朝鮮に行った方です。北朝鮮の現実に幻滅しながらも製鋼所の溶解工に志願
します。北朝鮮の民衆と共に在りたいと、重労働の最前線に立つという思いからでした。

北朝鮮に行ったら、社会主義を勉強しようと、日本から山のように本をもっていくわけですが、全部取り上げられてしまいます。
トルストイの「戦争と平和」を読めたのは、脱北して韓国に入ってからのことで、「感激で胸が一杯になった」と語っています。

北朝鮮が90年代の飢饉の時代に入ると、日本からの仕送りがあって少し余裕があったキムさんのもとに、周囲の飢える帰国者から
「一食だけでも食べさせてくれ」と懇願されるようになる。

しかし、施すと自分自身のお金がなくなる。家族を養うために、食べ物を乞う友人を遠さげ、言葉に耳を塞がなければならなかった。
その時、自分が目指していたヒューマニズムや共産主義は一体なんだったのかと、すごく苦しんだと正直に吐露されました。
極限に直面した時の帰国者の精神の一端を知りました。
ー後略ー
・数億円の寄付で金日成と写真が撮れる
・毎晩30〜50人の飢民が中国に越境
・朝鮮総連が握りつぶした内部告発
・映像ではなく本を執筆した理由
・監視と思想統制で兄が躁鬱病に
・「日本社会にも責任がある」
・「ヤンヨンヒ作品はどんどんスケールが大きくなっている」
構成/木村元彦

全文はソースから
集英社オンライン 8/30(日) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/233234e4a6bf4070111c7d09f2ed524348585053


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788062926
4 9月

【地上の楽園の現実】 北朝鮮へ渡った9万3000人の在日朝鮮人…脱北者50人が語った「幸せな瞬間は一時もなかった」

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/08/30(日) 13:08:46.23 ID:GXr/Cczl.net
――「証言・北朝鮮帰国者 祖国に帰った『在日』はどう生きたか」。日朝両国の赤十字と政府、朝鮮総連、などが推進し、1959年
から25年間にわたって行われた在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業。 “地上の楽園”と喧伝されて約9万3000人が夢を抱いて海を
越えたが、“祖国”での暮らしはどういうものであったのか。北朝鮮へ渡り、さらにそこから脱北した50名の帰国者の人々に
インタビューを敢行し、そこでの労働、教育、監視、密告など、生身の生活をあぶりだした本書は刊行後にすぐに重版がかかり、
今は三刷ということで、大きな話題を呼んでいる。

今、あらためて在日の北朝鮮帰国とは何であったのかを問う。本書における取材、執筆、構成を担った石丸次郎氏と父が朝鮮総連の
幹部で3人の兄が帰国されたヤンヨンヒ監督の対談をお届けする。

・「北朝鮮では幸せな瞬間は一時もなかった」
――まずはヤン監督に伺います。一読されて、どのようにご感想を持たれましたか?

ヤン 一気に読みました。まず構成が素晴らしく、在日朝鮮人や朝鮮の歴史についての知識がない人でも、
スラスラと読めると思います。

そして何よりも、インタビューをされた書き手の石丸さんが、初めて中朝国境に取材に行かれた日からこの本の執筆に至るまでの
人生があるからこそ、インタビュイーたちは壮絶な人生を赤裸々に語れたのだと思います。
800人以上の脱北者を取材した石丸次郎に対する信頼と関係性が感じられて胸が熱くなりました。

帰国運動については、本にはできないエピソードもあったと思います。私にもあります。映画でも本でも、
この対談の場でも語れないこともあります。

そのギリギリのラインを、石丸さんはじめ、携わった「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」の方々で掘り起こしてひとつの形に
したというのは、人権意識とフェアネス、生き延びてきた方々への敬意と愛情の塊です。安っぽい同情ではここまでの作品には
ならないと思います。

石丸 本に書き入れたかったことは山ほどあります。帰国者たちがどういう精神で生きてきたのかをもっと書きたかった。
インタビューしたそれぞれの人が印象に残っているのですが、最も言葉が心に残っているのはキム・ギュソクさん。

1938年仙台のお生まれで、革命家として生きようと北朝鮮に行った方です。北朝鮮の現実に幻滅しながらも製鋼所の溶解工に志願
します。北朝鮮の民衆と共に在りたいと、重労働の最前線に立つという思いからでした。

北朝鮮に行ったら、社会主義を勉強しようと、日本から山のように本をもっていくわけですが、全部取り上げられてしまいます。
トルストイの「戦争と平和」を読めたのは、脱北して韓国に入ってからのことで、「感激で胸が一杯になった」と語っています。

北朝鮮が90年代の飢饉の時代に入ると、日本からの仕送りがあって少し余裕があったキムさんのもとに、周囲の飢える帰国者から
「一食だけでも食べさせてくれ」と懇願されるようになる。

しかし、施すと自分自身のお金がなくなる。家族を養うために、食べ物を乞う友人を遠さげ、言葉に耳を塞がなければならなかった。
その時、自分が目指していたヒューマニズムや共産主義は一体なんだったのかと、すごく苦しんだと正直に吐露されました。
極限に直面した時の帰国者の精神の一端を知りました。
ー後略ー
・数億円の寄付で金日成と写真が撮れる
・毎晩30〜50人の飢民が中国に越境
・朝鮮総連が握りつぶした内部告発
・映像ではなく本を執筆した理由
・監視と思想統制で兄が躁鬱病に
・「日本社会にも責任がある」
・「ヤンヨンヒ作品はどんどんスケールが大きくなっている」
構成/木村元彦

全文はソースから
集英社オンライン 8/30(日) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/233234e4a6bf4070111c7d09f2ed524348585053


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1788062926
25 8月

【ながい窖】手塚治虫が半世紀にわたって“封印”し続けた幻の作品…「在日朝鮮人差別」を描いた意欲作は、なぜ全集にも…

1 名前:仮面ウニダー ★:2026/08/25(火) 13:05:37.28 ID:gvjoyXXx.net
 学術出版物としては異例の増刷を重ねる、本書の見どころは大きく二つある。全集にも未収録で半世紀近く人目に触れてこなかった
手塚治虫の短編を復刻したこと。そして、6名の識者による多面的かつ精緻な解説を併載したことだ。

【画像】手塚治虫が半世紀にわたって“封印”し続けた幻の作品…『ながい窖』を画像で見る

 この周到な構成により、今こそ読まれるべき作品のメッセージをはじめ、当時のマンガ業界における手塚のポジション、
作品テーマと社会背景との関係、日本の近現代史が孕む「在日」問題などを、立体的に把握することができる。

 この『ながい窖』は、『サンデー毎日』1970年11月6日増刊号に掲載された。在日朝鮮人であることを隠した主人公の家族を軸に、
戦時下の歴史や差別の問題に一石を投じた、社会派の50頁の作品だ。同誌70年11月8日号の広告には「大人が子供のマンガ雑誌を
読む時代は終わった!」という惹句が躍る。60年代後半に青年向けの劇画や少年誌のスポ根ものが流行する中、
「マンガを卒業しない大人たち」が増加していた時代状況がよくわかる。

 だが、この時期の手塚はどん底にいた。他のマンガに加えて特撮にもファンを奪われ、漫画家としても虫プロの経営者としても
苦しんでいた。ただ結果的に、この頃に社会派の短編を描き続けた経験が、73年から開始したヒット作『ブラック・ジャック』の
題材や読み切り形式にも影響するなど、手塚の漫画家人生の後半を支えることになる。

『ながい窖』を唯一収録したのは72年の『空気の底』下巻。表題作は短編シリーズだが、その第一話『ジョーを訪ねた男』の題材は
黒人差別である。以後も核兵器や性の問題といった大人向けの内容が続く。ただし、いじめや差別の話は子供向け作品の時代から
一貫していた。それは『鉄腕アトム』の冒頭を読むだけでもわかる。この時期を境に変化したのはテーマよりも伝え方なのだ。
子供用の包装紙を剥いで、人物描写、コマ割り、設定など、大人向けに生々しく描く実験を手塚は重ねた。

 空襲で九死に一生を得た手塚は、大半の作品で人間同士の差別や対立の愚かさを、さらにその基底にあるディスコミュニケーションの
問題を描いた。しかし、どれだけ描いても不安や不満は尽きなかったはずだ。戦争に人種差別、薬害に環境破壊、そして在日朝鮮人と、
マンガで取り上げた題材はどれも看過できない関心事だったに違いない。

 手塚が『ながい窖』を封印した理由は不明である。ただ、その判断自体が、当時の手塚と彼を取り巻く日本社会の実態を
考えるうえで、示唆深い手がかりだと言えよう。とりもなおさずそれは、本作が復刻され、これほど注目を集めている「日本の今」
を知るための手がかりともなるはずだ。

 諸方面で差別の問題が顕在化している今、本書は再読されるべき手塚作品への貴重な架け橋である。

てづかおさむ/1928年、大阪府生まれ。46年、漫画家デビューし日本のストーリー漫画の確立に尽力した。
また、アニメーションの世界でも大きな業績を残した。代表作に『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』
『アドルフに告ぐ』など多数。89年逝去。

よしむらかずま/京都精華大学理事長。今春、マンガの黒人描写問題に関する論考を『小松裕先生追悼論集』(雁回書房)に寄稿。

吉村 和真
文春オンライン 8/24(月) 17:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0ae5c1e7662fc453401000ff7bf9637f678a56b


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1787630737
9 8月

【大阪高裁】在日コリアンへの名誉棄損、泉南市議に再び賠償命令 SNS投稿、攻撃誘発の危険指摘 民族差別は認められず

1 名前:ばーど ★:2026/08/02(日) 13:12:18.48 ID:+9UQBKHC.net
 SNS(交流サイト)上で人種差別をあおる投稿をされ、名誉を傷つけられたとして、在日コリアン3世で会社役員の李香代(イ・ヒャンデ)さん(60)が、添田詩織・泉南市議に550万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日、大阪高裁であった。谷口安史裁判長は、添田市議に慰謝料88万円の支払いを命じた。一方、「投稿は民族差別に当たる」とした原告側の主張は1審と同様に認めなかった。

 判決は、1審と同様に添田市議の投稿が、李さんに対する名誉毀損(きそん)やプライバシー権侵害に当たると認定。1審・大阪地裁は55万円の支払いを命じていたが、増額した。

 谷口裁判長は、添田市議がSNS上で影響力を持つことをふまえ、投稿が「ネット上のみならず、一定の政治的思想を持つ者による原告に対する攻撃を誘発する危険がある。原告の不安と恐怖は小さくない」とし、損害の大きさについて1審よりも踏み込んで指摘した。

 添田市議は訴訟で「投稿は公共性、公益性が認められるべきだ。人種差別する目的はない」と主張していた。

 判決などによると、添田市議は、中国ルーツの経営者による会社が同市と業務委託契約を結んでいることを問題視。関連して、この会社に勤務する李さんが、朝鮮学校無償化を求める運動に関わっていたことや、李さんのいとこがスパイ事件で死刑判決(後に再審無罪が確定)を受けたことなどについてSNS上で言及した。李さんの顔写真も無断で投稿した。

 判決後、李さんは「民族差別として認められず、納得がいかない。今後も声を上げ続けたい」とコメント。原告側の西川研一弁護士は「判決は、人種差別撤廃条約上の差別に当たるかについて検討もしていない。司法の役割の放棄だ」と語った。【鵜塚健】

7/29(水) 22:33 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/b55fc4c2673126fd9d91254f703b79d60556f550

※関連スレ
韓国DJ SODAさん出演の音楽イベント主催会社が泉南市議を提訴 「中国系企業」発言はヘイトスピーチ [2/2] [ばーど★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1706865186/
「差別的言動で人格権侵害」…在日コリアン女性、泉南市議を提訴 X投稿巡り [5/21] [ばーど★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1716248678/


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1785643938
2 8月

「あきれてモノが言えない」「国を維持できるの?」外国人の永住許可要件の厳格化で在日中国人の本音は?

1 名前:昆虫図鑑 ★:2026/07/27(月) 18:21:56.30 ID:1F7EiyNy.net
出入国在留管理庁は、外国人の永住許可の要件を定めたガイドラインについて改定案をまとめた。現行のガイドラインは、永住許可の要件を➀素行が善良である、②独立の生計を営める、③日本の国益に合う、の3点と定めているが、このうち②と③を厳格化する。

新ガイドラインは日本人の世帯年収の平均を上回り、その年収で将来受給できる年金額が厚生年金に30年加入していた水準に達していることを原則として求める。10月1日付で改定し、来年4月の申請分から適用する方針。これに対し、在日外国人の最多である中国人はどのように感じているのか。

ココがポイント
新たな指針では、年収に関し「日本人世帯の平均収入を上回る水準に継続して達している」ことを明記する。
出典:読売新聞オンライン 2026/7/25(土)

(前略)「2025年国民生活基礎調査」によると、2024年の日本の1世帯当たりの平均所得は575万2000円だった。
出典:中央日報 2026/7/27(月)

(3)については新たな基準も設け(中略)日本語能力や、日本の制度・ルールについての理解度も考慮する。
出典:47 news 2026/7/25(土)

エキスパートの補足・見解
報道が出たあと、中国のSNS、微信(ウィーチャット)を開くと、数人がこの問題について議論したり、意見を書き込んだりしていた。日本の大学を卒業し、日本企業で働き始めたばかりの20代の男性は「あきれてモノが言えない。日本は国を閉じようとしているのか?」とコメント。「今後、日本に住み続けることは難しいかもしれない……」と心情を吐露した。

昨年日本に帰化した30代の男性は筆者に対し、「昨年、経営・管理ビザが厳格化されて以降、ますます厳しくなるだろうとは予想していたが、ここまで日本政府が『上から目線』でやるとは思わなかった。飲食店などサービス業の人手がこんなに足りないのに、国を維持できるの?日本にとって経済的な損害が大きすぎる」と直接メッセージを寄せてくれた。

在日中国人は全在日外国人の約4分の1を占め、約93万人に上る。そのうち「永住者」は35万7000人で最多だ。以前、「帰化」は原則5年以上の居住で申請でき、「永住者」より取得が比較的容易といわれていたが、日本政府は帰化の要件も今年から厳格化した。「ほとんどの人が長年、日本でまじめに働いてきたのに……」と憤りを感じる在日中国人が多い。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/19627e847b06d32c57e5867e0d5cd61043d03221


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1785144116
29 7月

「あきれてモノが言えない」「国を維持できるの?」外国人の永住許可要件の厳格化で在日中国人の本音は?

1 名前:昆虫図鑑 ★:2026/07/27(月) 18:21:56.30 ID:1F7EiyNy.net
出入国在留管理庁は、外国人の永住許可の要件を定めたガイドラインについて改定案をまとめた。現行のガイドラインは、永住許可の要件を➀素行が善良である、②独立の生計を営める、③日本の国益に合う、の3点と定めているが、このうち②と③を厳格化する。

新ガイドラインは日本人の世帯年収の平均を上回り、その年収で将来受給できる年金額が厚生年金に30年加入していた水準に達していることを原則として求める。10月1日付で改定し、来年4月の申請分から適用する方針。これに対し、在日外国人の最多である中国人はどのように感じているのか。

ココがポイント
新たな指針では、年収に関し「日本人世帯の平均収入を上回る水準に継続して達している」ことを明記する。
出典:読売新聞オンライン 2026/7/25(土)

(前略)「2025年国民生活基礎調査」によると、2024年の日本の1世帯当たりの平均所得は575万2000円だった。
出典:中央日報 2026/7/27(月)

(3)については新たな基準も設け(中略)日本語能力や、日本の制度・ルールについての理解度も考慮する。
出典:47 news 2026/7/25(土)

エキスパートの補足・見解
報道が出たあと、中国のSNS、微信(ウィーチャット)を開くと、数人がこの問題について議論したり、意見を書き込んだりしていた。日本の大学を卒業し、日本企業で働き始めたばかりの20代の男性は「あきれてモノが言えない。日本は国を閉じようとしているのか?」とコメント。「今後、日本に住み続けることは難しいかもしれない……」と心情を吐露した。

昨年日本に帰化した30代の男性は筆者に対し、「昨年、経営・管理ビザが厳格化されて以降、ますます厳しくなるだろうとは予想していたが、ここまで日本政府が『上から目線』でやるとは思わなかった。飲食店などサービス業の人手がこんなに足りないのに、国を維持できるの?日本にとって経済的な損害が大きすぎる」と直接メッセージを寄せてくれた。

在日中国人は全在日外国人の約4分の1を占め、約93万人に上る。そのうち「永住者」は35万7000人で最多だ。以前、「帰化」は原則5年以上の居住で申請でき、「永住者」より取得が比較的容易といわれていたが、日本政府は帰化の要件も今年から厳格化した。「ほとんどの人が長年、日本でまじめに働いてきたのに……」と憤りを感じる在日中国人が多い。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/19627e847b06d32c57e5867e0d5cd61043d03221


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1785144116
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