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2025年06月13日 06:20
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【ハンギョレ新聞】差別と蔑視を受けた在日コリアンたち…大阪生野区は「避難所」だった
- 1 名前:昆虫図鑑 ★:2025/06/05(木) 10:09:41.63 ID:qIg6y7cZ.net
「大阪生野区に今でも古い焼肉屋が多いのは理由があります」
5月16日に会った大阪出身のある在日コリアン2世が淡々と語り出した。当時、日本人は牛や豚の内臓を食べず、朝鮮人たちはこれを安価で仕入れて生計を立てていた。「解放前後に日本に来た朝鮮人たちは大阪生野区を中心に集まって暮らし、ゴミや不用品を取り扱って生計を立てるのが一般的だった。また当時は、日本人にタバコ代を握らせておけば、『ほうるもの(捨てるもの)』を手に入れことができた。家族みんながそれを食べて、またお金をもらって(料理をして)売ったりもした」と語った。日本で人気の高い韓国式の「ホルモン」は「放るもの」という日本語から始まったという。
日帝強占期、日本に渡ってきた植民地朝鮮出身の下層階級の労働者の暮らしは厳しかった。生野区の旧名が「猪を飼うところ」という意味の「猪飼野」だったほど環境は劣悪だった。崩れかけたバラック小屋、川や街には汚物があふれていたという。在日朝鮮人の人生を描いた本『パチンコ』で、当時バラック小屋の中で豚を飼う場面が登場したりもした。差別は日常だった。朝鮮人たちが商売をしたくても日本人問屋は酒を売らず、客が酒を注文すると裏口から抜け出して日本人が運営する店で酒を買ってくることもあったという。朝鮮人たちは故郷を思い浮かべながら「青空には星が多いが/己の身体には苦労ばかり!/己はこんなに哀れにも/日本の隅に放り捨てられたのか」(「恨(ハン)多き君代丸」)と歌い、深い悲しみを飲み込んだ。
在日コリアン2世のイ・チョルさん(76)はハンギョレに、「父は金を稼ぐために当時『クンデファン』と呼ばれていた船『君が代丸』に乗って済州(チェジュ)から大阪に渡り、鉄を扱う鋳物工場で働いていた」とし、「1世の在日朝鮮人はもうほとんど亡くなったが、当時はトイレや水道もまともにない『長屋』という粗悪な合宿所のようなところで、苦労しながら朝鮮人部落を作っていったという話をよく聞かされた」と語った。彼は「父は解放後、済州に戻り、済州4・3事件の惨禍を逃れて再び大阪に来たが、日本の第2次大戦敗戦後にも朝鮮人は働き口だけでなく日常でも差別が多かった」と話した。
1920年代以後、日本最大の朝鮮人定着地だった大阪市生野区一帯には一時「朝鮮市場」と呼ばれたところがあった。ここは1990年代以降、「大阪コリアタウン」に名前を変えた。日本全域にこのような市場がここにしかなかった時代には、故郷の服を求めて朝鮮人たちが1千キロも離れた北海道から韓服(チョゴリ)を買いに来たという。5月14日に訪れた400メートルのコリアタウンのあちこちでは、キムチをはじめキムパ(海苔巻き)、豚肉やスンデ(腸詰め)のクッパなどが、ピリッと香ばしい匂いを漂わせていた。「慶州商店」、「昔々フンブとノルブ」、「韓流ショップK」のような韓国商店は、国籍を問わず多くの客で賑わっていた。近隣の「鶴橋市場」にある商店街と共に日本で最大規模のコリアタウンだ。
生野区は日本の植民地政策が作り出した「オールドカマー」の過酷な暮らしが刻み込まれている場所だ。「内鮮一体」を強調していた日本は、敗戦から2年後の1947年、日本に居住する朝鮮人を外国人として登録させた。1952年に日本が連合国と結んだサンフランシスコ講和条約が発効すると、在日朝鮮人は日本国籍喪失を通達された。在日朝鮮人は事実上無国籍状態で日本で暮らすことになった。1965年の韓日国交正常化以降、韓国国籍に変える在日コリアンが増えたが、多くの在日コリアンが現実にはもはや存在しない国の国籍である「朝鮮籍」を保持し続けた。日本に帰化していない韓国国籍や朝鮮籍の人々は「特別永住者」として日本で暮らすことになった。「オールドカマー」と呼ばれる人たちだ。
(略)
東京をはじめ神奈川、九州などにも小規模の朝鮮人部落があったが、日本全域の朝鮮人の拠点の役割をした大阪には特別な意味があった。在日コリアンのドキュメンタリー監督でジャーナリストの高賛侑(コウ・チャニュウ)さんはハンギョレに「生野区を中心に朝鮮人が集団居住していた大阪は、1923年の関東大震災における朝鮮人大虐殺事件をはじめ強制動員の被害者などが、同胞社会を信じて身を寄せられる避難所だった」と語った。解放後には韓国現代史の惨劇である済州4・3事件を逃れ、済州島民1万人余りが生き残るために移り住んだ土地でもあった。1944年に200万人余りに達した在日朝鮮人は、解放直後にも大阪をはじめ日本全域に60万人余りが残った。1950年の朝鮮戦争勃発などで混乱した朝鮮半島情勢のため、帰国できなかった人々が多かった。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/14764cd52238b7fdde819f36d4805993a48f1365
引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1749085781
- 72 名前::2025/06/05(木) 10:49:19.04 ID:rIJapaQ/.net
いやそんなに差別されたら韓国に帰るだろ普通
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こめんとニダ
アッス℠
イヴォガ痔℠
ぼす きんぐぅ ぼんばぁ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
🍎🐙🍎
🌶👄🌶おでをあんまりおこらせるなよ?
👅
恨むなら半島を恨め。バカチョン。
そのチャンスは今でもあるのだ、何故帰らない?帰れよ愛する祖国へ 馬鹿チョン。
今の我が国のオールドメディアでは、やたらと外国人を持ち上げる報道が目立ちます。政界やメディアのみならず、行政も官界も司法界も教育界も、やたらと外国人ファーストの姿勢が目立ちます。日本人には重税を課して、取り上げた税金はドンドン外国にバラ撒かれています。そして、国内でも、外国人雇用促進の補助金、外国人留学生の生活費支給、外国人の生活保護など、日本人が苦しんで納めた貴重な税金が、ジャブジャブと外国人に使われています。そう言えば、外国人犯罪は、実名が報道されない事が多い気もします。私は警察や司法にも、不信感を抱かざるを得ません。今の我が国は、私から見れば異常です。しかし、異常な事を異常と思わせないようにするための装置があります。それこそが、オールドメディアです。昔から そうですが、近頃は、さらなる拍車をかけて、オールドメディアは、しつこく外国人ファーストの報道を続けているかのように、私には見えます。もしも、日本人が減った分を際限なく外国人で埋めていったらどうなるか? 日本列島は残っても、そこに古代から続いた日本民族は居なくなる。そのことに石破氏も、あるいは、石破氏を総理に選んだ自民党議員も気付いていない。そして、そういう自民党議員の背後に居る官僚や経済界の人々なども気付いていない。彼等は目先の事しか考えていないのでしょう。100年先、200年先の我が国の国の形が、どうなるかという事への想像力が全く欠如しております。そもそも、石破総理も与野党の多くの議員も、日本人とは何か? 日本国とは何か? という問いへの答えを実は持ち合わせていないのではないかと思います。つまり、彼等の心の中には、日本が、もう、無いのです。https://www.youtube.com/shorts/7I2JrleBA8w
秋田県横手市 在日中国人に被害対象鳥獣保護員として狩猟免許を発行してしまう。中国人が日本で銃撃ちまくり。 by のうまにあ 願榮光@FreeAll_protest
寄生コリニダを許すな
日本はお前らニダの国じゃないぞ
日本は日本人の国だ 馬鹿やろ
通州事件(つうしゅうじけん)は、1937年(昭和12年)7月29日に、中華民国河北省通県(現・北京市通州区北部)において、日本が設立した冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、日本軍の通州守備隊と通州特務機関および日本人・朝鮮人居留民を襲撃し、200人以上虐殺した事件[5][6]。通州虐殺事件とも呼ばれる[7]。
(以下はWikiではない)
中国人は、日本人の家を一軒残らず襲撃し女性を、ことごとく陵辱(強姦)。日本人男女384名余人の鼻を針金で繋ぎ、牛を引いていくように屠殺場に連行し、一人残らず殺害。
金福子の出身地だヨン ちなみにアキヒロ(元下朝鮮小酋長)は平野区
現在の半島人を見れば判る。議員が前科者だらけで、大統領も首相も犯罪者。
国民が善良であるはずがない。善良なら何故日本に半島人の犯罪者が溢れてる?
エゴ、傲慢、暴力、ウソ、盗み・・・
どこが日本に強制連行されたんだって?
朝鮮半島に帰らず逆に日本に来る奴らがいたって、日本はどんだけ天国だったんだよ
朝鮮・人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。私としては、これらすべての朝鮮・人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。その理由は次の通りであります。
(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在・日朝鮮・人を養うために使用しております。このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。朝鮮・人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。
(2)大多数の朝鮮・人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。
(3)さらに悪いことには、朝鮮・人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
終戦後「朝鮮進駐軍」部隊と名乗る武装集団が各地に出現
通りすがりの市民に言いがかりをつけ、目が合えば気にいらないと言っては集団暴行、飲食店に入っては無銭飲食などは当たり前、また白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦など日常茶飯事に繰り返される戦後があった。
バスや電車列車では駅員を殴り倒して乗り込み、乗客を殴り金品や荷物を奪い取るなどやりたい放題だった。 日本の丸腰警察をいいことに、白昼堂々と警官狩と称す「殺し」も全国で多発した。武装した「朝鮮進駐軍」が日本の警察署を襲撃する事件が全国各地で多発していた。彼らは、当時米軍と同じ外国人扱いで、国内の治安法律等は外人の彼らには一切及ばなかった。日本人を殺しても一切罪にならなかった。この間に一万人以上の日本人市民が殺害されてたと見られている。GHQの記録として残っている分だけでも四千人以上の日本人が殺害されている。
やりたい放題で日本人支配が進み、「朝鮮進駐軍」による軍事行動が起きた。日本政府乗っ取りクーデターが、1946年の「首相官邸暴動事件」。約2000人の武装した「朝鮮進 駐軍」が「戦勝国民」の権利を掲げ首相官邸に突撃、「朝鮮進駐軍」は日本の警官隊や米軍憲兵隊との銃撃戦となった。
この日本全土で暴れまくる「朝鮮進駐軍」の襲撃殺人は、工場施設や企業、官庁の破壊活動と次第に共産軍化し、ついに米軍施設も襲撃されたことから、最高司令官ダグラス・マッカサー元帥が、米軍第八軍団に重装備させ日本各地の「朝鮮進駐軍」武装集団の鎮圧に動き制圧し彼らを解体し終った。しかし、この人殺し朝鮮人達は処罰を受けることなく、今ものうのうと日本で暮らしている。
[年月日] 1965年12月18日 [出 典] 日本外交主要文書・年表,629-630頁 及「大韓民国外交年表 附主要文献」,1965年629-630頁 [備 考] 翻訳 玄大松 [全 文] 大統領談話文(韓日協定批准書交換に際して)
親愛なる在日僑胞の皆さん!
そうして私は,日本の空の下で韓国同胞たちが再び分裂して相剋することなく,暖い同胞愛の紐帯の中で互いに和睦して親近となり,また幸福な生活を営なむことを希望してやみません。これとともに私は,これまで“分別なく故国をすてて日本に密入国”しようとして抑留され,祖国のあるべき国民になれなかった同胞に対しても,この機会に新しい韓国民として前非を問わないことをあわせて明らかにしておこうと思います。再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望しながら,今日からわれわれは新しい気持と新しい心構えで,栄えあるわが祖国を建設する働き手とならんことを,訴えてやみません。
1965年12月18日 大統領 朴 正 煕
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