1 名前:昆虫図鑑 ★:2025/05/15(木) 10:45:00.79 ID:7E9Zo2Ft.net
(抜粋)

半端ではない成り上がり人生の凄み

「世の中を憎悪しながら育った」

 保守政党・国民の力の大統領候補選びに出た一人は韓国紙とのインタビューで、李在明氏をこう評した。

 選挙戦での相手陣営候補への発言ではあるが、保守層には李在明氏のこれまでの「生きてきた軌跡」を理解できず、恐れながら嫌悪している傾向がある。

 半端ではない「成り上がり人生」、壮絶な幼少期を送った。その「凄み」が過去の発言の随所に見られるため、これが恐れや反発の遠因になっている。

 1961年5月に朴正煕(パク・チョンヒ)氏がクーデターで政権を掌握し、2年後の1963年に大統領に就任して本格的な経済再建が始まる。

 ちょうどそのころに7人兄妹の5番目に生まれた。

 父親は大学中退で公務員などもした。李在明氏の幼少期を知る高齢の住民は最近韓国メディアに「近所で学問があって新聞を読んでいたのは李在明氏の父親だけだった」という。

 だが、この当時は珍しかった高学歴の父親は賭け事にも手を出してカネを失い、一家の生活は大変苦しかったという。

 小学校を卒業すると同時に城南市に引っ越した李在明氏だったが、中学には行けなかった。

 家があまりに貧しく、すぐに働きに出ることになったのだ。まだ12~13歳。年齢を偽って小さな工場で働くこととなった。

 過酷な環境だったようだ。また、仕事場での暴力沙汰はしょっちゅうで、よく殴られたという。

 小卒の李在明少年は、夜に勉強をして中学、高校の卒業資格を「検定試験」で得る。

 李在明氏は1982年に全額奨学生としてソウルの中央大学法学部に進学する。生活費も出たという。

 城南市を出てソウルの中央大学に進んだ李在明氏は、卒業直後の1986年に2度目の受験で司法試験に合格した。

 司法研修所の同期生に「当時から進歩的な活動をしていたのか?」と聞くと、声をそろえて「そんなことはない」と言う。

 本人は韓国メディアのインタビューで、「研修所時代に、当時、釜山の若手弁護士でその後大統領になる盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏の講演を聞いて、進路を決めた」と話している。

 盧武鉉氏も商業高校を卒業したが大学に行けず、司法試験に合格して釜山で人権・労働弁護士になった。

 李在明氏は弁護士になって城南市に戻る。この地域で初めての人権派弁護士だったという。

 こうした混沌の城南市で李在明氏は労働問題などの弁護士として頭角を現していた。

 李在明氏は、労働者の弁護を無料で引き受けることも少なくなかったという。

 李在明氏は、こういう韓国の「過去と未来」が共存する他に例がない急成長都市で弁護士活動をし、さらに市民運動、政治活動にも乗り出した。

「城南市の北部だけなら李在明氏を支持する声は7割くらいある。口先だけじゃなくて、あの人は決断力、行動力が並外れてある。庶民の暮らしについてもよく分かっている」

「でも、スキャンダルが多すぎる。発言もころころ変わる。尹錫悦政権になってから国会で多数を占める与党の代表として閣僚などの弾劾を連発したことへの失望はここでも強い」

 6月3日の韓国大統領選挙は、李在明氏を選ぶのか、拒否するのか、の選挙といえる。韓国の有権者は、どちらから李在明氏を見るのだろうか。

全文はソースで

玉置 直司
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/88293


引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1747273500
51 名前:(神奈川県)(東京都)(茸)猫猫日本:2025/05/15(木) 11:38:27.51 ID:TUYJ4qR3.net

ある意味実験場だからやってみろ