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2024年08月08日 16:20
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【韓国】基準値の11倍…避暑客でにぎわう渓谷でセーヌ川を超える大腸菌検出
- 1 名前:ばーど ★:2024/08/08(木) 11:53:40.03 ID:vsyQIc0b.net
京畿道楊州市の日迎遊園地内の渓谷で7月10日、水100ミリリットル当たり5500CFU(コロニー形成単位、Colony-forming unit)の大腸菌が検出された。これは100ミリリットルの水に5500の大腸菌コロニー(集団)が存在することを意味する。
【写真】大量の大腸菌が検出された渓谷で水遊びを楽しむ人たち
現在パリ・オリンピックで問題になっているセーヌ川の大腸菌(2000CFU)の2.7倍以上も高い数値だ。パリ五輪のトライアスロンではセーヌ川で水泳などを行ったある選手が10回も嘔吐(おうと)し、また一部選手たちは健康上の理由から棄権した。
日迎遊園地で大量の大腸菌が検出された原因は明らかではない。当初は雨が多く降った影響で近隣の下水施設や道路から汚染された水が流れ込んだ可能性が考えられたが、その後も基準値以上の大腸菌が検出されている。
■水100ミリリットル当たり5500の大腸菌コロニー…基準値の最大11倍
各地の自治体と保健環境研究院は毎年夏に多くの行楽客などが訪れる川などを対象に水質検査を実施している。日迎遊園地もソウルに近いため、夏のバカンスシーズンには首都圏などから多くの行楽客が訪れる施設の一つだ。
京畿道保健環境研究院や楊州市などによると、7月第2週(7月10日)に日迎遊園地の上流で採取した水100ミリリットルから5500の大腸菌コロニー(CFU)が検出された。韓国環境部(省に相当)が水環境保全法施行令で水遊びなどを禁止する大腸菌勧告基準は水100ミリリットル当たり500CFUだ。つまり日迎遊園地では基準値の11倍の大腸菌が検出されたことになる。
日迎遊園地の水質が極度に悪化し始めたのは7月第1週(7月4日)からだ。水質検査チームが上流、中流、下流の3カ所で水質検査を行ったところ、中流と下流では異常は発見されなかったが、上流では100ミリリットル当たり2400CFUの大腸菌が検出された。
それから6日後の第2週の調査では上流で5500CFUの大腸菌が検出された。この時も中流と下流では特に異常はなかったという。
保健環境研究院の関係者によると、日迎遊園地の水質検査は今年が初めてではなく、以前から実施されてきたが、昨年も一昨年も(大腸菌の基準値を)超過することはなかったという。
■パリ五輪トライアスロンが行われたセーヌ川よりも多くの大腸菌…原因は今も不明
今回の日迎遊園地での水質検査結果は最近パリ五輪トライアスロンで問題になっているセーヌ川よりも悪い。米CNNテレビは「今年6月30日の時点でセーヌ川から100ミリリットル当たり2000CFUの大腸菌が検出された」と報じた。セーヌ川では水質悪化の原因は雨と考えられている。CNNによると、上記の結果が出た水質検査は雨が降った直後に行われたという。
その後パリ五輪組織委員会は7月30日(現地時間)に予定されていた男子トライアスロン競技を雨を理由に延期した。7月26日と27日に降った雨でセーヌ川の水質が競技に不適切と判断されたためだ。ワールドトライアスロン(連盟)によると、競技に必要な基準は水100ミリリットル当たり1000CFU未満だ。
日迎遊園地も7月第1週と第2週の水質検査の際に多くの雨が降ったという。楊州市の関係者によると、この2回の水の採取はいずれも雨が降った後に行われたようだ。通常だと汚染物質は雨で流されるが、一方で外の道路などから汚染物質が新たに川に流れ込むこともあるという。
その後7月第3週(7月16日)の検査ではいずれも基準値を満たした。当時上流で検出された大腸菌は100ミリリットル当たり160CFUで、中流と下流は2桁台だった。
ところが7月第4週(7月25日)の検査では再び不適合の結果が出た。中流と下流はいずれも100ミリリットル当たり1400CFUで、基準値(100ミリリットル当たり500CFU)の2.8倍だった。上流では19CFUだった。
7月第4週の結果について保健環境研究院の関係者は「原因究明のため遊園地周辺の飲食店などによる下水や汚水の放流などさまざまな可能性について調査を行っている」とした上で「中流と下流での基準値超過はふん便が原因の可能性が高く、何者かのふん便が流入したのではないか」と述べた。
楊州市の関係者も「明らかな原因はまだ解明されていないが、下水とふん便が流入した可能性などについても確認中だ」と説明した。
保健環境研究院と楊州市は8月にも日迎遊園地に対する水質検査を実施する計画だが、8月第1週の結果はまだ公表されていない。
朝鮮日報 2024/08/08 11:35
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/08/07/2024080780113.html
引用元:https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1723085620
- 23 名前:1989六四天安門:2024/08/08(木) 12:13:21.76 ID:PYX8+l3d.net
シモコリアンならむしろ快適だろw
- 46 名前:真の愛国日本人ならPS5を買いなさい:2024/08/08(木) 12:49:21.94 ID:p5ZUsXW6.net
日本の汚染水の影響がこんなところに出ている
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こめんとニダ
ナニもできませんw
その名はトイレットティアー
こたつぅさぁんどぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
脳ミソ・・・脳ミソ内「回虫」大腸菌
ケツ・・・・ぎょう虫 大腸菌。
腸・・・・・サナダムシ 大腸菌
皮膚・・・・ダニ、南京虫大腸菌
頭髪・・・・シラミ、ケダニ 大腸菌 大腸菌は友達さ(〃▽〃)
ビックリして驚くらしい?川に生き物がいるとか そんな感じの国だぞ韓国とか海外は 馬鹿が。
めっちゃワロタwww めっちゃウケたwww
https://www.qurataro.com/news/news.php?nid=159
細井肇著「漢城の風雲と名士」
韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。
(中略)
さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。
全く持ってとんでもない話である。
毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・
今お話したように、統治時代のことについては戦後誇張されているウソがいっぱいあるわけですが、実際には「一視同仁」を実現するために、朝鮮総督府は本当によくやったと思います。
例えば、併合直後に朝鮮に渡った私の大叔父の話によると、釜山港に上陸したら道らしい道がないことに驚いたそうです。
なかには、道の真ん中に家が建っているところもあった。
なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の属国でしたから、道路を作ったら侵略されるということで、道らしい道がなかったのだそうです。
朝鮮人は部屋の中で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるから、もう臭くてプンプンしていた。
伊藤博文が仁川で上陸してソウルの王宮まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いてますけれども、当時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うんだ。
異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。
それに、病院がないから人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。
大叔父はそのような話をしていました。
そのお陰で朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わったんです。
また、病院をどんどん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶され、餓死者が一人も出なくなった。
餓死者というのは、栄養失調だけでなくて病気もありますからね。
この功績はいくら強調してもしすぎることはないと思います。
そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知っていたはずなんですよ。
良かったな 馬鹿が。
これが朝鮮版の「養老乃瀧」ってやつか!
『25万人の同市民は地上に瓦または藁を並べた一階屋の下に潜り込んで生活している。いや、不潔な道路に蠢動(しゅんどう)していると形容したほうがよいだろうか。その道路は広くても二頭の馬が並ぶことができない。狭いところで一人の荷を担いだ者が往来を塞いだほどである。路傍には悪臭が芬々(ふんぷん)とする溝があり、路面は埃まみれの半裸体の子供と、獰悪(どうあく)な犬とによって占領せられている』
つづく
『市街の中心を西から東へ流れる下水道は、市中の汚水を夜に昼に絶えず城外に排泄している。そのために下水道の泥は真っ黒で幾世の昔からの濁水によって染められ悪臭を空中に放散して旅人を悩ましている』
『南山の中腹に日本公使館があるが、木造で白塗りの建物としてはあまり感心できない。その麓に日本人居留地があり、約五千人の日本人が小さな天地をつくっている。料理店もあれば、劇場もある。朝鮮人町と反対に清潔でよく整って気持ちがよい』
ビショップ婦人はソウルは「世界一不潔な都市」とまでいっていた。
一方で清潔な日本に生まれた僕は未だに陰金で無職(笑)(笑)🤣🤣🤣🤣🤣草草草
本書の著者ヨーコ・カワシマ・ワトキンズは、1933年 (昭和8年) 青森で生まれた。生後六ヶ月で南満州鉄道 (満鉄) に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南 (現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市) に移住。朝鮮・咸鏡北道で11歳まで過ごす。1945年 (昭和20年) 日本の敗戦が濃厚になると、母親と姉とともに避難を開始し、京城(けいじょう)を経由して日本へ逃れる。離れ離れになった兄とも後に再会を果たす。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。1976年 (昭和51年) になってヨーコは当時の逃避の詳細を兄に問い、その様子を1986年 (昭和61年) に本書にまとめた[4]。この物語の続編にMY BROTHER, MY SISTER, AND I がある。
川嶋一家5人は朝鮮半島東北部の町・羅南(らなん)で、戦時下ではあるが、それなりに平和に暮らしていた。1945年 (昭和20年) のある日 (4月以降)、擁子(ようこ)と好(こう)は慰問に訪れた軍病院で、負傷兵松村(まつむら)伍長と知り合う。数週間後、松村(まつむら)伍長は川嶋家をお礼に訪れ、その後もたびたび訪れ、川嶋一家と親密となる。この頃、朝鮮半島北部にもB-29が爆撃に時々現れ、また、日本敗北の気配を読み取って、半島内に反日朝鮮人共産主義同盟、朝鮮共産党軍が組織されつつあった。
1945年 (昭和20年) 7月29日深夜、松村(まつむら)伍長がソ連軍が侵攻してくることを一家に伝え、すぐに町を脱出することを勧める。父と淑世(ひでよ)は不在だったが、ソ連軍は既に近くに迫っており、2人に連絡する時間はもはやなく、書置きを残して、母と擁子(ようこ)と好(こう)の三人は最低限の荷物と財産を持って、松村(まつむら)伍長の勧めどおり赤十字列車に乗って羅南(らなん)を脱出した。列車はその後京城(けいじょう)まで70キロの地点で爆撃に遭い、機関車が破壊されたので、三人は列車を降り、徒歩にて京城(けいじょう)を目指す。しかし半島内は既に、ソ連軍と呼応した、朝鮮共産党軍の兵士によって、北から南へ逃走中の日本人は片っ端から殺害され、日本人の遺体は金歯を引き抜かれ身ぐるみ剥がされ、日本人の土地家屋財産などが奪われ、日本人の若い女を見つけると草むらや路地裏に引きずってでも強姦されていた。しかし、彼らを怒らせたら他の日本人が集まる避難所を攻撃されるとされ、周囲にいた日本人難民は反撃できないで、悲鳴を聞いても黙って耐えるという地獄絵図と化していた。
・本田宗一郎 『韓国人と関わるな』
・吉田松蔭 『朝魚羊人の意識改革は不可能』
・伊藤博文 『嘘つき朝魚羊人とは関わってはならない』
・新井白石 『朝魚羊人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく。』
・夏目漱石 『余は支⚪︎那人や朝魚羊人に生れなくつて善かつたと思つた』
・福沢諭吉 『この世界に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝魚羊人だ』
・津田梅子『こんな汚らわしい挑戦人よりも動物の方が清潔』
ぼくまだ死にとうないーせめてモツ鍋食わせてーーーー(。≧Д≦。)👂
https://youtu.be/kUr3nTFCQi4?si=PYsAleRoQpMbBqhS
チョンマスゴミは同胞の事を通名使って庇うのな、こんなことをするから犯罪が無くならない、クルド人には黙り込むチョンマスゴミだ、根っからのヘタレだな(((uдu*)ゥンゥン
せめてアレらの国からの輸入品くらいは厳格な検査をしてくれよと(そもそも輸入するなよとも)思う
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