1 名前:LingLing ★:2023/01/29(日) 23:46:02.20 ID:0+LtWcmq.net
「朝鮮の魚」ミョンテ(明太、スケトウダラ)由来談[キム・チャンイルの漁村探究]〈90〉

龍岩を挟んで吹く北西風は鋭く、鷹岩は氷壁を被ったようだった。龍岩と鷹岩の横をかすめるように流れる谷川は底まで凍りついて、陳富嶺(チンブリョン)と弥矢嶺(ミシリョン)に乗って過ぎる激風は干場にかかった明太を黄太(※ファンテ、スケトウダラを零下で自然乾燥したもの)にしていた。鼻の中が凍るほど寒く、風が衣服を突き抜けて入ってくる土地であってこそ干場ができるという話を自ら確認した。麟蹄郡(インジェグン)龍垈里(ヨンデリ)が明太の最大産地になれた理由だ。

体が黄太のように凍っていく時、熱い黄太のヘジャンク(※酔いさましスープ)を思い出した。立ち並ぶヘジャンク店の中から有名なところに足を向かわせた。白く濁ったスープ一匙で体がほぐれると、壁に貼られた文が目に入った。明太の語源に関する内容だった。昔、高麗時代に明太をとって王様に膳を差し上げたが、味がとても良くて何の魚かと尋ねると、臣下が「咸鏡道(ハムギョンド)明川(ミョンチョン)に住む太(テ)という名のソバン(※亭主、旦那、夫)が釣ってきました」と言うと、王様が明川の「明(ミョン)」の字とテソバンの「太(テ)」の字を取って「明太(ミョンテ)」と名付けたという。これは既存の明太由来談を基に恣意的に直した内容だ。

元来の話はこうだ。 「明川に住む姓が太である人が、魚を釣って官庁の厨房管理を通じてトハク(道伯、各道の最高官吏)に差し出したが、道伯がこれをおいしく食べて名を尋ねたところ、知る者がいなくて、ただ『太(テ)漁夫がとったもの』とだけ答えた。道伯は「(明川[ミョンチョン]の太(テ)さんが捕まえたので)、明太(ミョンテ)と言った方がいい」と話した。イユウォンの『林下筆記』(1871年)に掲載された明太由来談だ。この話は歴史的事実ではなく、民間に出回っている話を聞いて記録したものだ。

事物や出来事が起こったことを面白く飾って説明するのが由来談だ。(省略…)
現在まで明太という名前が確認された最初の公式記録は、1652年に四甕院から承政院に上げた啓状だ。明太を好んで食べたにもかかわらず、遅い時期に明太の名前が記録された。これは明太という漢字表記が明の太祖・朱元璋の廟号(死後功徳を称えるために付けた名前)と同じで、文献に使われなかったが、1644年明国の滅亡によって自由に使えるようになったと見る学者もいる。明太とともに「プゴ」という名前も使われた。干した明太という意味で使われる今とは違って、朝鮮時代には北側の海で獲れる魚という意味だった。この他にもとれる時期と場所、大きさ、乾燥程度によって多様に呼ばれる。

最も好んで食べた魚であり、漁獲量が最高だった明太は、隣国にまで名前が伝わった。日本の「メンタイ」、中国の「ミンタイウィ」、ロシアの「ミンタイ」は明太から始まった名称だ。まさに明太は朝鮮の魚だった。

キム・チャンイル国立民俗博物館学芸研究士

東亜日報(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/020/0003475685

関連スレ
【韓国】日本が元祖と思っている人たちも結構いるが、実は韓国の食べ物=『明卵ヂョッ(明太子)』[06/01] [ハニィみるく(17歳)★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1622504414/


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1675003562